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2007年4月 4日 (水)

★サディスティック・ミカ・バンド★

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サディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mika Band)は、1972年にデビューした日本のロックバンド

バンド名の由来は、ジョン・レノンが結成していたプラスティック・オノ・バンドをもじったと言われている。また、ミカの包丁使いがあまりにサディステックだったことに由来するとも。

結成当初は、元ザ・フォーク・クルセダーズ加藤和彦ギターボーカル)、加藤ミカボーカル)、角田ひろ(ドラムス。現:つのだ☆ひろ)がメンバーだったが、これに高中正義リードギター)を加えて、1972年にシングル「サイクリングブギ」でデビュー。その後、小原礼ベース)が参加し、ほぼ同時期に角田ひろが脱退。高橋幸宏ドラムス)が参加をしてファースト・アルバム『サディスティック・ミカ・バンド』を1973年に発表した。このアルバムは発売当初は数千枚しか売れなかったが、イギリス特にロンドンで評判となり、結果的に「逆輸入」という形で日本でも評価されるようになった。クリス・トーマスがセカンド・アルバムの『黒船』をプロデュースしたいと言い出したのも、このファーストアルバムを聞いてのことだった。

ファースト・アルバムにサポート的に参加していた今井裕(キーボードサックス)は、次作の『黒船』から正式メンバーになる。(ちなみに小田和正もファースト・アルバムでサポート・メンバーとしてピアノを弾いていた。)

第2弾アルバム(のちに『黒船』となる)の制作にとりかかっていた頃、ビートルズピンク・フロイドを手がけて有名になっていたイギリスの音楽プロデューサー、クリス・トーマスから「プロデュースさせてください」とのオファーを受け、彼をプロデューサーとして起用してセカンドアルバム『黒船』を録音、レコーディングには450時間が費やされた。日本だけなく海外でも発売されたこのアルバムは、現在でも再版されており、名盤と呼ばれている。

その後、小原礼が脱退し、後藤次利がベースとして参加。サードアルバム「ホット!メニュー」をリリース後、1975年には、ロキシーミュージックのオープニング・アクトをつとめイギリスツアーを成功させた(ロキシーの時間も大幅に食ってしまったとのこと)。当時、高中は弱冠22歳、リーダーの加藤でさえ28歳だった。沸きに沸くそのステージの模様は、ライブ盤「ライブ・イン・ロンドン」で聴くことができる。特にラストの「塀までひとっとび」(「黒船」に収録、英語タイトルは「Suki, Suki, Suki」)は名演である。

「塀までひとっとび」は1989年の再結成ライブの際にもアンコールで演奏され観客を沸かせた。その模様はライブ盤「晴天」(1989年)で聴くことができる。

その後、加藤和彦・ミカの離婚により、1975年11月にサディスティック・ミカ・バンドは解散した。

在籍したメンバー

(期数・メンバー名については1987年に発売された「20 SONGS TO 21ST CENTURY」の小倉エージ氏の解説を元に、「ミカのチャンスミーティング」(1988年版/JICC刊)などにより補足)

  • 第1期 (1971年11月~1972年9月) シングル「サイクリングブギ」
加藤和彦・ミカ・つのだひろ
  • 第2期 (1972年9月~1973年10月) アルバム『サディスティック・ミカ・バンド』
加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・小原礼・高中正義
  • 第3期 (1973年11月)  シングル「ハイ・ベイビー」
加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・小原礼
  • 第4期 (1973年末) (この時期の音源なし)
加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・小原礼・永井充夫
  • 第5期 (1974年2月頃~1975年6月) アルバム『黒船』
加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・小原礼・今井裕・高中正義
  • 第6期 (1975年6月頃) (この時期の音源なし)
加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・今井裕・高中正義・ジャック松村
  • 第7期 (1975年7月~1975年11月) アルバム『ホット!メニュー』『ライブ・イン・ロンドン』
加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・今井裕・高中正義・後藤次利※

(※後藤は正式メンバーではなく、サポート扱いだった)

解散後の活動

  • 解散後、今井裕、後藤次利、高中正義、高橋幸宏の4人でサディスティックスとして活動した時期がある。(1978年頃には自然消滅)
  • 1989年には加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏に、桐島かれんボーカル)を加えて Sadistic Mica Band (ミカの表記が「Mika」から「Mica」に変更)として再結成。アルバム「天晴」を発表した。先行されて発売されたシングル『Boys and girls』はマツダ・ファミリアのCMソングにもなり、オリコン13位を記録。2007年3月現在、サディスティック・ミカ・バンドとしては唯一のオリコントップ100入りシングルとなっている。
  • 2006年には加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏に、木村カエラボーカル)を加えて Sadistic Mica Band Revisited として再々結成。「タイムマシンにおねがい」がキリンラガービールCMソングに使用された。このCMソングの評判がよく、フルバージョンで聴きたいという希望が多かった(CMではサビの部分が使用された)為、着うたとパソコンから音楽配信されることが決定。iTunes Music Storeの配信ランキングで一位を獲得するなどの記録を残した。
    2006年8月30日にはライブ形式の無料PV撮影会を行った。
    2006年10月25日にはアルバム「NARKISSOS」(ナルキッソス)を発表した。これに際し、バンド名のアルファベット表記を、カエラの名前を入れたSadistic Mikaela Band としている(カナ表記はそのまま)。さらに2007年秋、シネマ・ラ・セットにて映画「サディスティック・ミカ・バンド」(仮題) の公開が予定されている。監修は井筒和幸。

加藤ミカ評

初代女性ヴォーカルの加藤ミカ(福井ミカ)は「調子外れの歌」「ただギャーギャー言っているだけ」と他のメンバーに比べて過小評価されがちであるが、以降のニューウェーブのボーカリストへの影響は大きく、また、1994年に発表された彼女のセルフプロデュース(全曲自身による作詞作曲)アルバム『ジャラン ジャラン』のサウンドは限りなくミカバンドに近く、彼女のミカバンドにおける存在は小さなものではなかったとの説が台頭しつつある。松任谷由実も加藤ミカを尊敬しているという。

 デヴィッド・ボウイの1980年製作アルバム「Scary Monsters」の1曲目「It's No Game,Pt.1」で日本人女性のナレーションをミカに依頼したが断られたという経過もある。

 オレはカエラ嬢が加入した後のSadistic Mikaela Bandとしてしか知らんのだけども。

ミカ在籍時のミカバンドもなかなかのもんだ。・・・・まあオレはカエラ嬢の方が好きなんですがね。

 『タイムマシンにお願い-2006 VER-』

キリンラガービールのCMソング。サビだけだったのだが、フルバージョンを!との要望多く、iTunesでの配信も。ダウンロード一位にもなるほどの人気。全体的には昔の匂いが漂ってます。 イギリスっぽさも感じられるね。DVDで観られるパフォーマンスも最高にかっこいい~! 当たり前だけど昔に比べて断然いい音で聴けるし、カエラ嬢のヴォーカルは何度聴いても気持ちが良くなる抜けるような透明感があって最いい。

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2007年3月26日 (月)

☆Do As Infinity☆

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Do As Infinity(ドゥ・アズ・インフィニティ)は、日本の男女三人組音楽グループ。無限の広がりという意味が込められている。 「DAI」もしくは「ドゥアズ」と略称される。台湾標準中国語表記は大無限樂團

1999年9月29日マキシシングル『Tangerine Dream』でデビューし、ちょうど6年後になる2005年9月29日をもって解散した。レーベルはavex trax

歌詞カードなどではDo As Infinity are Van Tomiko, Owatari Ryo, Nagao Dai and all supportersとクレジットされており、サポーター(DAIはファンのことをサポーターと称している)もメンバーの一員であると表現している。

長尾は2000年12月31日にベルファーレで行われた「avex NEW CENTURY COUNT DOWN 2000・2001 」でのライブを最後にフロントメンバーとしての活動を離れ、楽曲制作に専念した。長尾がフロントメンバーを外れた理由としてDo As Infinityのメンバーとしてのライブパフォーマンスやプロモーション活動と、作曲家長尾大としての楽曲製作を同時進行で進めることが困難であり、楽曲製作が滞ってしまう状態に陥ったためとされている。長尾がその後メンバーとしてファンの前に姿を見せたのは2002年9月に渋谷公会堂で行われたデビュー3周年記念公演(このLIVEは13thマキシシングル『under the sun/under the moon』購入者を対象に抽選で無料招待した)と、2005年11月25日に日本武道館で行われた、ラストライブでの2回目のアンコール時にゲスト出演という形で登場した時だけであった。フロントメンバーとしての活動を離れてからは楽曲の提供のみで、レコーディング時の演奏にもほとんど関与していなかった。

2004年には所属事務所・エイベックスエンタテインメント(当時アクシヴ)を離れ個人事務所TRUE SONG MUSICを設立。初めてフルプロデュースを手がけたアーティストAmasia Landscapeをはじめ、様々なアーティストへの楽曲提供を精力的に行っている(楽曲提供をしたアーティストは長尾大楽曲提供を参照のこと)。

長尾はビルの夜間警備アルバイトをしながらギターでの楽曲製作に励む日々を送っていた。98年、雑誌に掲載されていたレコード会社の一覧を頼りに、30曲入りのデモテープを送付し始める。このテープにはデビュー曲となる『Tangerine Dream』や『Heart』、『SUMMER DAYS』、『Simple Minds』などが既に含まれていた。デモ楽曲がアクシヴ(現 エイベックスエンタテインメント)のスタッフの耳に止まって呼ばれたのを機に、長尾は連日のように完成した楽曲をアクシブに次々と持ち込むようになり、同社専属のクリエイターとしてデビューすることに成功する。チェキッ娘、YURIMARI、吉沢梨絵、hitomiなどへの提供を着実にこなし、浜崎あゆみへ提供した楽曲『TO BE』で一躍脚光を浴びるようになった彼自身が参加するユニットを作ることを、avex主導で決定したのがこのユニットの誕生のきっかけである。

熊本から服飾の専門学校に通うため上京していた伴は、中目黒でスカウトされた。スカウトした者の伝により1999年5月18日にavexの関係者が揃う渋谷のカラオケ店へ呼ばれ、長尾らが見守る中小野正利の楽曲を熱唱。この時点でDo As Infinityのボーカルは既に伴とは別の女性で内定していたが、伴に変更されることとなった。6月14日に伴のレコーディングの見学に呼ばれる形で大渡が参加し(大渡の加入はこの時点で既に決定していたが本人には自覚が無く、知らされたのは20日になってからである)ユニットとしての体制が整った。デビューに向け楽曲を製作していく中で、大渡が何気なく提案した路上ライブの実施をプロモーションの一環として決定。1999年8月15日から渋谷ハチ公前を中心に全国各地で路上ライブを展開。デビュー前に行われていたライブの終了後には『Tangerine Dream』と『Heart』が収録されたMDも無料配布されていた。レコーディングを中断してライブを行い、終了後はまたスタジオに戻って再びレコーディングするなど連日精力的にこなした結果、約3ヶ月後の1999年11月22日に路上ライブ通算100回を達成。記念公演は渋谷公会堂にて無料で行われ、この時に歌った音源は3rdマキシシングル『Oasis』に『Wings』が、ライブアルバム『Do As Infinity Live -Final-』にボーナストラックとして『Tangerine Dream』、『Raven』、『Oasis』が収録されている。1stアルバム『BREAK OF DAWN』発表後は全国各地でのイベント出演が中心となり、連日のように路上ライブを行うことはなくなった。2001年9月29日のデビュー1周年時に彼らの強い希望により渋谷ハチ公前にて路上ライブを実施。メンバーは10曲程度披露するつもりでいたが、人が殺到したため警察官が介入する事態となり全5曲で終了。彼らの路上ライブはこれが最後となった。

デビュー当時は楽曲製作とライブ出演を優先させるために地上波TVへの出演が殆ど無かったが、サポーターを中心にテレビ出演を求める声も高まったことから7thマキシシングル『Desire』のプロモーション時に地上波TVに登場。しかし「大渡はアルバムのレコーディングが最終段階のため多忙」という理由で伴が単独で出演し、ギター演奏には秋山智江を立てて行われた。当時のことを伴と大渡は「なぜかひとりで出てみろという話になった。なぜそういうことになったのかはわからない。」と後にテレビ番組で語っていたが、長尾がフロントメンバーを離れたことについての説明をつけるのが難しいというスタッフ側の判断で、最初は伴の単独出演にしたとされている。

3ヶ月連続リリースの第一弾となった8thマキシシングル『遠くまで』からは大渡も登場し、一気に露出を増やした。連続リリースと並行し、2001年5月には初のワンマンライブツアーを敢行。2002年に発表したベストアルバム『Do The Best』は出荷枚数100万枚突破を達成し、第17回日本ゴールドディスク大賞ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

2005年9月13日、デビュー日でもある9月29日に解散し、ラストライブを11月25日に日本武道館で行うことを発表。ラストライブの実施は当初考えられておらず、Do As Infinityとしてのパフォーマンスは2005年8月28日に行われたa-nation'05神戸公演で最後とするつもりであった。しかしその後「ラストライブは日本武道館で行いたい。」とメンバーが希望。急遽日本武道館でのラストライブを実施することを決定したが、解散日となる9月29日までの日本武道館の使用可能日程は限られていたため、解散後となる11月25日に一夜限りの復活という形でけじめをつけた。

楽曲のクレジットについて

デビュー当初は"誰が書いてもD・A・I"のコンセプトのもと作詞・作曲とも「D・A・I」とされており実際の製作者の名前は具体的に表記されていなかったが、『Do The B-side』に収録された『BE FREE』以降は明確化された。作詞は伴、大渡によるものと、川村サイコのものがある。川村サイコは原田淳(avex 第4製作部 製作統括、デビュー当初からDAIを担当)と新地佳代子(Do As Infinity楽曲の仮歌を担当。本業はエステティシャン)の共同名義である。また『Heart』までディレクションを担当した鈴木直人も作詞している。 作曲は大渡が手がけた『徒然なるままに』(『Do The B-side』収録)、『アザヤカナハナ』(『GATES OF HEAVEN』収録)を除き、長尾がすべて手がけた。また『アザヤカナハナ』はタイトルを『鮮やかな花』と改め、ミサイルイノベーション名義で大渡がセルフカバーしている。

アルバムのタイトルは伴が3rdアルバム製作中に、3つのタイトルが偶然にもしりとりになっていることを発見。以降、意識的にしりとりが続けられた(6thを製作する段階でしりとりにこだわると制約が生じることから、やめることも検討されたが結果的には最後まで貫く形となった)。

オリジナルアルバム

1st 2000年3月23日 BREAK OF DAWN

2nd 2001年2月21日 NEW WORLD

3rd 2001年9月19日 DEEP FOREST

4th 2002年12月26日 TRUE SONG

5th 2003年11月27日 GATES OF HEAVEN

6th  2005年2月16日 NEED YOUR LOVE

その他の楽曲

ミサイルイノベーション、解散後の各ソロ楽曲についてはそれぞれの項目を参照のこと。

  • again / TOMIKO VAN from Do As Infinity(オムニバスアルバム『song+nation』収録)
  • Drive me nuts / Cyber X feat. Van
  • EL Dorado / atami (Guest Vocal. tomiko van, Guest EG. ryo owatari)
  • COME ON NOW! / NORTHERN BRIGHT(大渡亮ゲストコーラス参加)
  • VIETIFUL WORLD / Vietiful Joe(E.G.大渡亮 A.G.長尾大)
  • I miss you? / Do As Infinity for BLACK STONES(漫画『NANA』のトリビュートアルバム『LOVE for NANA~Only 1 Tribute~』に収録。後に『Do The Best "Great Supporters Selection"』に再収録)
  • Hold me... / 伴都美子(S.D.Preppy)(『SLOW DANCE ORIGINAL SOUND TRACK』に収録 後に伴のソロデビューアルバム『FAREWELL』に再収録)
  • Trust(長尾が「Do As Infinity最後の楽曲」として製作した楽曲。デモ音源のみ[1])

『Trust』は長尾が解散にあたって発表したメッセージの中で、存在を明らかにした楽曲。CD化を望む声が多く、長尾自身も交渉にあたったが結局実現には至らず、2005年11月22日に公式ホームページ上でデモ音源を公開するだけとなった。このデモ音源に伴と大渡は参加しておらず、演奏は長尾によるアコースティックギターと道太郎によるベースのみで、ボーカルは長尾がプロデュースしているユニットI-luluの水島歌菜が務めた。

この他に、いくつかのオムニバスアルバムにリミックスヴァージョンが、ドラマ・アニメのサントラにアレンジヴァージョンが収録されている。

TVで『冒険者たち』を聴いてからなんか気になってたんスね~。結構ハスキーなヴォーカルも魅力だし。てか伴さん(伴都美子)はめっちゃ綺麗じゃないッスか!!(オレそんな理由ばっかだなwww)それであの声なのでもう最高です。あゆへの楽曲の提供がDAIというのは知ってましたが、まさかドゥアズとは一昨年まで気づかなかったね。何で解散しちゃったんすかね~。でもソロ活動してるからまだ可能性はある!!

 『Desire

やけにドラムが響いてる感じがする。どことなく寂しげなギターがなんとも言えません。暗いといえば暗いのだが、音が全体的に低めなのでそう感じさせるのだろう。2番からはバックにちょっとづつシンセがフェードインしてきていい味出している。最後サビが終わる時、ヴォーカルのみで他は無音になり、そこからドラムが出てきて終わる、という形が非常に好きだwww

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☆ⅩJAPAN☆

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ヴィジュアル系」といわれるロックの先駆者的存在とされ、ロック界のみならず日本の音楽業界、J-POPにおいても様々な意味で多大なる影響を与えたバンドである。

Xというバンド名は当初「正式なバンド名が決まるまでの、仮の名前」であった。「1文字だと、コンテストのパンフレットで目立つから」という、軽い気持ちだったという。当時のXは、コンテスト荒らしとして地元では有名なバンドで、TOSHIはバレーボール部と掛け持ちしていた為に、坊主頭で出場していた。

 

幼少の頃からピアノを習っていたYOSHIKIは、高校生当時「勉強もできてピアノも弾けるが、不良」という、学校にとっては厄介な存在だった。当時の様子をYOSHIKIは「バリカンを持った先生に館山市内を追い掛けられた」と、テレビ朝日徹子の部屋」出演時に回想している。金髪リーゼントなのに期末試験ではトップクラスの成績、学校行事ではピアノを演奏するなど、当時から異彩を放っていた。

  

Xのメジャーデビュー以降の楽曲は、オリジナル楽曲がたったの34曲しかないにもかかわらず数社のレコード会社からリリースされている。最初に契約した当時のCBSソニー(現在のソニーミュージックエンタテインメント)では、アーティスト契約と同時にマネジメント契約も交わしていた為、いわばソニーの丸抱え状態であった。よって、ソニーとの契約期間中にリリースされた楽曲の盤権は今もソニー側が所有しており、現在はソニーミュージック子会社のキューンレコードが管理している。

キューンが盤権を管理する楽曲は、アルバム「BLUE BLOOD」の12曲、「Jealousy」の10曲、それに本来「Jealousy」に収録されるはずだった、新たに新録された「Sadistic Desire」とシングル「Standing Sex」の計24曲。さらに、ソニーとの契約期間中に収録されたライブ音源も含まれる。

ソニーとの専属契約解除後、「自分達の楽曲を自由に使えない」という反省からXは「EXCESS24」という専属マネジメント会社を設立。以降の楽曲盤権は全てX側が保有し、後に楽曲をリリースするレコード会社とはリリース契約に限定された。X JAPAN解散後は、YOSHIKIのマネジメント会社「Japan Music Agency」に盤権が引き継がれている。

1992年にリリース契約したMMGはワーナーミュージックの子会社で、海外デビューの際はワーナーのレーベル、アトランティックからリリースされる予定だった。シングル「Tears」発売後にMMGはイーストウエストジャパンと社名が変わるが、この「east west」もワーナーのレーベルである。現在ではワーナーミュージックに吸収合併されている。

Xの末期にはワーナーと平行してポリドールからもリリースされている。ポリドールは後に親会社がMCAと合併してユニバーサルミュージックとなったため、日本においても1999年に社名が変わっている。

解散前後には、YOSHIKIが「ワーナー・ポリドールとの契約消化の為」に企画物のライブアルバム等を乱発している。ちなみに、PV集「DAHLIA THE VIDEO PART II」とライブビデオ「DAHLIA THE TOUR FINAL 1996 東京ドーム完全収録」の2本は、諸般の事情からVHS盤はキングレコードよりリリース、後のDVD化の際にはユニバーサルからリリースされている。

1997年12月にリリースされたバラードベスト「BALLAD COLLECTION」では、ポリドールからのリリースながら、「ENDLESS RAIN」「Say Anything」といった、ソニーが盤権所有する楽曲もすんなりオリジナル音源で収録されている。ソニーから追い出された形のXだが、ソニーとの関係は険悪なものではなかった。事実、ソニーミュージックとの契約解除の数年後、親会社ソニーが発売するカセットテープ「X」のCMにはXの「X」が使われている。

しかし、1999年2月にワーナーからリリースされた「PERFECT BEST」では、ソニーが盤権保有する楽曲は何れもライブヴァージョンであり、それも全てソニーとの契約以前、もしくは以降に録音されたものである。これはレコード会社間の利害関係に巻き込まれた結果の苦肉の策である。

結果、2001年12月にユニバーサルからリリースされた「X JAPAN BEST -FAN'S SELECTION-」だけが、ソニーも含め全てオリジナル音源で製作された唯一のベストアルバムとなっている。

(ex.DYNAMITE⇒ノイズ⇒エックス⇒X JAPAN)

(ex.DYNAMITE(ギター)⇒ノイズ⇒エックス⇒X JAPAN)

(ex.サーベルタイガー⇒エックス⇒X JAPAN)

(ex.ブラックローズ⇒ジュディ⇒エックス⇒X JAPAN)

(ex.トラッシュ(ギター)⇒ディメンシア(Ray)⇒ブローラー⇒エックス⇒デッド・ワイヤー⇒エックス)

(ex.パラノイア⇒カオスモード⇒ビート・スィート(ボーカル)⇒スィート・デス⇒メディア・ユース⇒マジスティック・イザベル⇒X JAPAN)

 

インディーズ時代の旧メンバー(一部)

  • Terry(テリー)(Yuji(ユウジ))ギター [1982-1985]:YOSHIKIとTOSHIの高校の同級生。
  • Tomo(トモ)ギター [1984-1985]
  • Atsushi(アツシ)(Tokuou(トクオウ))ベース [1985]:YOSHIKIとTOSHIの高校の先輩。
  • Eddie(エディー)ギター [1985]
  • Hally(ハリー)ギター [1985]:現United。TAIJIが最初に加入した時に連れてきたギタリスト。
  • Jun(ジュン)(SHU(シュウ))ギター [1985-1986]
  • Zen(ゼン)ギター [1985-1986]
  • Hikaru(ヒカル)ベース [1985-1986]
  • Kerry(ケリー)ギター [1986]
  • Satoru(サトル)ギター [1986]
  • Isao(イサオ)ギター [1987]:バイクでの事故により脱退。後に臨時ギタリストであったPATAが正式加入。

解散後のX JAPAN

「2000年再結成」までの間、各メンバーはソロ活動を展開する。中でもHIDEは、hide with Spread Beaver名義で精力的に活動を始めた。しかしその矢先、1998年5月2日にHIDEが急逝、これによりX JAPANの再結成は叶えない幻となった(2005年6月のR-25、2002年1月のWeekly Oricon、1999年6月のFeatureなど様々な場でのインタビューでYOSHIKIが公言している)。HIDEの死は、X JAPANというバンドを解散早々伝説化させる要因になった。また、以降も「ART OF LIFE」や「THE LAST LIVE」などのライブ盤やDVD、インターネット上での投票によるベスト盤リリース、全国主要都市や韓国ソウルでのFILM GIG開催などが続いた。

さらに、HIDEと同郷であり、hide MUSEUMの建設にも関わった小泉純一郎首相が「X JAPANのファン」と公言し話題を呼び、「Forever Love」が自民党の国政選挙の際にCFで使われた。

日本国内のみならず、海外、特に東アジア東南アジア圏でのX JAPAN人気も相当なものである。韓国では「Tears」が、映画『僕の彼女を紹介します』挿入歌として、日本文化解禁後の韓国映画において初の日本語楽曲使用となった。

 『BLUE BLOOD』

 『BLUE BLOOD』収録。ただし音質が著しく悪いので、期間限定発売中であるS.P.Editionの方のアルバムを勧める。音質が相当改善されている。

途中のギターが好き。この曲はまだドラムが静かなので普通の人でも聴けると思う。サビの手前の部分にメンバー全員でシャウト(?)する箇所もあり、一気に気分を盛り上げて臨まさせてくれる。最後のパートは音域が少し上がり、今までのサビとは違う一面を出して締めている。去年くらいからハマった。ロック好きでないととっつきにくいかもしれない。

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2007年3月23日 (金)

☆day after tomorrow☆

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day after tomorrow(デイアフタートゥモロウ)は、日本音楽グループである。

略称はdatデイアフデイアフターとも呼ばれる。

エイベックスグループのエイベックス・エンタテインメント(旧アクシヴからマネジメント業務移管)に所属する。

2002年8月7日、ミニアルバム『day after tomorrow』(新人では異例の、全曲タイアップ付き。)・DVDシングル『faraway』の同時発売で ”期待の大型新人”として、avexからデビューした。

2005年、グループ内の活動方向の相違により同年8月17日発売のベストアルバムを最後に、"個人の音楽活動のステップアップの為"に、活動休止中である。

メンバー

  • 北野 正人(きたの まさと、通称: まーくん、1974年10月25日 - 大阪府八尾市出身) ギター担当・作曲担当
    • 中学時代、ハードロックを聴き音楽に目覚める。高校時代にインディーズバンドを結成し、東名阪でライブを重ね自主制作でCDを発表。バンド解散後、作家として多数のアーティストに楽曲を提供。その後、ギタリストとしてライブハウス等でバンド活動を再開。ZARDhitomi鈴里真帆SAYAKA、等への作曲を手掛ける。
    • ちなみに、映画が大好き。
    • 現在は2006年5月24日に元Waiveの田澤孝介と結成したストロボとしてデビューし、活動中。

プロデューサー

五十嵐充(元Every Little Thing)一時期は、作曲を手がけることもあったが、作詞・共同編曲を手がける傾向になった。

代表曲

faraway
1stミニアルバム「day after tomorrow」・1stシングル「faraway」・1stシングルDVD「faraway」/オリコン最高10位
  • dat、またヴォーカルのmisonoを象徴するかのような元気溢れるデビュー曲。第17回日本ゴールドディスク大賞「ニュー・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」を受賞。
My faith
2ndミニアルバム:「day after tomorrowⅡ」・2ndシングル「My faith」・2ndシングルDVD「My faith」/オリコン最高3位
CURRENT
5thマキシシングル「DAY STAR」より/オリコン最高6位
  • トリプルA面シングルの1曲目の曲で、farawayに続き、森永「ice box」 TV-CFソングとなった。また「イタズラなKISS」は当時大人気だったTVアニメーション「犬夜叉」のEDテーマとなり、話題を呼んだ。
Starry Heavens
6thマキシシングル「moon gate」より/オリコン最高2位
Dear Friends
7thマキシシングル「Dear Friends / It's My Way」より/オリコン最高2位
  • オリコン初登場過去最高位の2位を記録した曲で、当時話題だったYoshiの携帯小説の内容をリンクして作られた曲。
lost angel
9thマキシシングル/オリコン最高4位

 たまたま音楽番組を観てたら特集をしていたので、その時の『faraway』にてハマった。タイアップがなぜか多いのでしょっちゅう聴く機会も多かったので耳慣れしていたのかもしれない。なんだかグダグダな感じで活動休止になってしまったので残念。misonoのソロはキュート系を織り交ぜているのだろうが…どうも肌に合わないような気がして。

 『ユリノハナ』

 親しい人と別れてしまうのではないかというせつない想いを歌った曲である。そのせいか、「活動休止又は解散をするのではないか」と予感したファンも少なくない。(実際、この作品のリリースから2ヶ月後に活動休止が発表された。) 彼らの最大の魅力である生き生きとしたヴォーカルが押し出ている。かなり切ない内容なのだが、misonoの力強いヴォーカルがそれを感じさせない。

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2007年3月22日 (木)

☆葉加瀬太郎☆

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葉加瀬 太郎(はかせ たろう、1968年1月23日 - )は、大阪府吹田市生まれのヴァイオリニストミュージシャンエイベックス所属。妻はタレント高田万由子

京都市立堀川高等学校卒業、東京芸術大学音楽学部器楽科ヴァイオリン専攻中退。4歳からヴァイオリンを習い始め、東京芸術大学の学生で結成された『クライズラー&カンパニー』の中心人物として音楽界に登場。

クラシックポップスといったジャンルの垣根を越えて、壮大で心地よい音楽で人気を博すが、1996年に解散。

その後、作曲家・ヴァイオリニストとして高く評価され、アート・リンゼイ・プロデュースにより『watashi』(1997年)でソロデビューを果たす。1996年10月からのセリーヌ・ディオンのワールドツアーに参加し注目を浴びる。

ジャズボサノヴァラテン、その他様々な民族音楽をクラシックと溶け込ませたような楽曲を奏でる。 また、打ち込みの音と生音とを組み合わせた楽曲を手がけ、新たな音世界を形成した。

2004年中島美嘉の楽曲「朧月夜~祈り」(および同名のミニアルバム)をプロデュースし、紅白歌合戦に伴奏で出演した。

2006年4月には、関西テレビの報道番組「スーパーニュースアンカー」のテーマ曲「Beyond the Sunset」を石坂慶彦と共に手がける(葉加瀬太郎・石坂慶彦共同作曲、石坂慶彦編曲)

2007年3月、ゆずとコラボで「春風 meets 葉加瀬太郎」発売。

2000年、デビュー10周年を迎え、世界の音楽家・芸術家たちとのコラボレーションを行い新たな影響を受け、更にスケールアップし続けている。

毎年 恒例となった自身の全国コンサートツアー、癒しの一大ブームを巻き起こしたコンピレーションアルバム「イマージュ」の全国ツアー、夏のイベント「情熱大陸」など、年間80公演を超える。音楽家だけでなく、J-WAVE「ANA WORLD AIR CURRENT」のパーソナリティーや個展を開く画家としての顔も持っている。

2002年8月葉加瀬がかねてより思い描いていた夢、「アーティスト自身が自由に創作できるレーベル」の実現にむけ、新レーベル゛HATS゛を設立。自身がレーベルの音楽総監督をつとめ、様々なアーティストや良質な音楽を提供すると共にプロデューサーとしての活動も本格的にスタートさせる。

 小学生の頃から情熱大陸を楽しみにしていたのは、番組内容もさることながら、OPの『情熱大陸』とEDの『Etupirka』を聴くためもあった。それくらい前から彼の楽曲には惹かれていた。それがきっかけでイージーリスニング系アルバム『image』シリーズも揃えるほどEL系にのめりこんでいった。そのせいもありクラシックのCDにもちょこちょこ手を出すように。

ちなみにEtupirka(エトピリカ)とはアイヌ語で「鼻」という意味。同名の鳥が北海道のアイヌ地方に生息している。

 『Etupirka(エトピリカ)』

オレの中での癒し系ミュージックNo.1の曲。民族音楽にあるようなコーラスから始まり、バイオリンのゆるやかな旋律が奏でられる…無駄といえる音が全くなく、自然の中で演奏されてるかのような錯覚をおこす。これは『情熱大陸』にも見られる。最後のリフレイン+αパートになるとワンテンポずれてサビ部分が演奏されているので飽きがこない。そのまま奏でられていき、高音域に入ったままフェードアウトしていく。眠る際には最適な曲。

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2007年3月21日 (水)

☆SOPHIA☆

Sophia101 SOPHIA(ソフィア)は、日本ロックバンドである。1995年、メジャーデビュー。

1994年

大阪にて松岡、豊田、都の3人で結成。すぐに黒柳、赤松が加入し東京進出。インディーズ盤『SOPHIA』を5000枚限定でリリースし、即完売。

1995年

10月ミニアルバム『BOYS』11月には『GIRLS』をトイズファクトリーよりリリースし、メジャーデビューを果たす。

1996年

3rdアルバム『Kiss the Future』がSOPHIAのリリース作品として初のオリコン初登場10位を果たし、足場を固める。

1997年

  • 松岡充(まつおか みつる、1971年8月12日 - ):ボーカル 兵庫県高砂市出身(出生地は大阪府、幼年期を山口県岩国市で過ごす)。
  • 豊田和貴(とよた かずたか、1971年9月1日 - ):ギター 大阪府吹田市出身。通称および旧芸名・ジル
  • 黒柳能生(くろやなぎ よしお、1972年3月18日 - ):ベース 愛知県知立市出身(実は一宮市出身。市広報誌にも一宮出身者として掲載)。
  • 赤松芳朋(あかまつ よしとも、1974年5月27日 - ):ドラム 兵庫県加古郡播磨町出身。
  • 都啓一(みやこ けいいち、1971年10月6日 - ):キーボード 兵庫県伊丹市出身。
    • バンド名の由来は「philosophia」から派生した「philosophy」という単語を松岡が誤って「愛を知る」と訳して気に入ってしまった事から。(本当は「知を愛す(=哲学)」)。しかし、如何せん言葉が長いため「SOPHIA」とした。SOPHIAと関わることで色んな形の愛を知って欲しいと思ったため。
    • ライブでは「本編だけで余力を残さず完全燃焼してるつもりだから」という理由でアンコールは基本的に行わない(全く行わないわけではない)。
    • ライブの始まる直前に必ずエディット・ピアフの「愛の讃歌」が流れる。終了後は同じくピアフの「ばら色の人生」が流される。ちなみに「愛の讃歌」は05年にシングル「one summer day」のカップリングとしてカバーした他、原曲に松岡のオリジナル歌詞を付けた「青空の破片(かけら)」という曲を「獅子に翼IV」と05年11月放送のBEAT MOTION、ライブツアー「SOPHIA 10th ANNIVERSARRY TOUR 2005 a piece of blue sky~遥かなる宝島~」にて披露している。
    • 毎年ファンクラブで希望者を募ってメンバーと共に旅行に出掛けるイベント「さく―a!」(さくあ)が催される。国内だけに留まらずオーストラリアなど海外も訪れ、適時メンバーと交流したりしながら旅行を楽しむ。ちなみに「さく―a!」というのは略称で、正式名称は「さくれつ!THE DYNAMITE Holiday inゴージャス ミラクル ファンタスティク アーンド デリシャス ○○(目的地名) with スィート デンジャラス Funky sophia!」である。

  • 『little cloud』がぐるぐるナインティナインタイアップとして起用され、初の10万枚超え。
  • 1stフルアルバム『little circus』からリカットしたシングル『街』がロングヒットを記録。
  • 1997年夏『TOUR CIRCUS』にて結成3年、デビュー2年でロックの聖地日本武道館で念願のライブを成功させる。
  • 初のクリップ集『philosophy-Ⅰ』がオリコン初登場1位を獲得した。
  • 1998年

    シングル『黒いブーツ~oh my friend~』、アルバム『ALIVE』等安定したセールスを保ち、チャートの上位に作品を送り込んだ。

    1999年

  • アルバム『マテリアル』を引っさげ、初の全都道府県ツアー『beautiful MAN』を決行。一般発売日当日に全公演がsold outとなった。
  • 8月には東京都立川市の昭和記念公園で3万人を動員する大規模ライブ獅子に翼を成功させた。(WOWOWにて完全同時生放送された)
  • 2000年

  • 元旦に大阪城ホールでライブ、ライブアルバムと昨年のツアーのドキュメント映像収録の『1999』をリリースした。
  • 『ミサイル』が化粧品のタイアップでヒットした。
  • 2度目となる全都道府県ツアー『大夜総曾』を成功させ、香港でのライブも成功させた。
  • 2001年

  • アルバム『進化論』のリリースを含め、シングル4枚、アルバム1枚、ベストアルバム2枚、これまでの映像作品のDVD化など精力的に活動。
  • 大阪での凱旋ライブ獅子に翼Ⅱを成功させた。
  • 2002年

  • 3度目の全都道府県ツアー『HARD』を決行。
  • お笑いコンビガレッジセールとのコラボで『Gaphia』を結成。チェッカーズの名曲『I Love You, SAYONARA』を発売。オリコン初登場4位を獲得した。
  • 2003年

    • 高校サッカー選手権大会のテーマソング『理由なきNew Days』リリース。
    • 約2年半ぶりにオリジナルアルバム『夢』をリリースした。
    • ツアー『for dreamers only』にてカウントダウンライブを大阪で行った。

    2004年

  • 3月東芝EMIに移籍。
  • 5月12日より3週連続シングルリリース(『旅の途中』、『please,please』、『花は枯れて また咲く』(各30000枚限定))し、購入者全員を西武ドームで行われる獅子に翼Ⅲに招待する前代未聞の企画を行う。このライブには約25000人を動員し、招待性ライブにおいては国内最大規模である。
  • 秋にはアルバム『EVERBLUE』を引っさげツアー『BLUE BLUE BLUE』を敢行。
  • 2004年の12月31日~2005年1月1日にかけて『三都物語』と称し、一夜で3本(京都~大阪~神戸)のライブを行った。
  • 2005年

  • シングル『青い季節』をモチーフにしたショートムービーを収録したDVDをリリースする。
  • 4月からは全国ツアー『“Sophism Or Sophistication”』がスタート。
  • 8月には獅子に翼Ⅳを昨年と同じインボイスSEIBUドームで開催。
  • 秋にデビュー10周年記念のベストアルバム選曲のためネット投票を公式HPで行ったところ2週間で10万件を越えるアクセスを記録。
  • 11月19日から~12月3日にかけて東京6公演、大阪3公演にわたるツアー『TOUR 2005 a piece of blue sky ~遥かなる宝島~』を敢行。これはセットに2億円をかけ、シナリオに沿って進行する芝居仕立てのライブで、従来と異なるスタイルが話題となった。
  • 2006年

  • アルバム『We』リリース
  • 4月には4年振りの武道館ライブ
  • 全国ツアー『W+e』、また11年ぶりとなるスタンディングツアー『Dear…brother&sister』を全国のZepp系ライブハウスで行った。
  • 2007年

    2005年に行った『 a piece of blue sky ~遥かなる宝島~』を東京で再公演する。

     オレの中で数少ない、ヴォーカルが好きなバンドの一つ。低めだけども伸びのある声が気に入ってる。

     『Place~』

     バックの悲しげなストリングスが曲全体を包み込んでいる。語りかけるような静かなヴォーカルが入り、サビの直前で気持ちが高揚していき、一気に入っていく。後半の方のパアートには少し明るめに飾った感じのストリングスが加わってきている。"本当に君と出会えて良かった""ここからまた歩いてく…眩しい光が差し込むあの場所まで…"別れたあとも気持ちを新たに歩き出す様を描いている。落ち込んだ時に聴きたくなる一曲。

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    ☆hide☆

    Hide118

    hide(ヒデ、1964年12月13日 - 1998年5月2日)は解散した日本のロックバンドであるX (X JAPAN) のギタリストミュージシャンアーティストである。

    基本的にXでは大文字で「HIDE」、ソロ活動では小文字で「hide」、と表記を区別している。愛称は「hideちゃん」

    SABER TIGER解散後、1987年初めに当時のXに加入。PATAも加わって、メジャーデビュー時のメンバー構成になり、解散するまでたいていの楽曲でリードギターを担当する。また、一部曲の作詞および作曲も担当。ライブ等でも独自の派手かつ奇抜なパフォーマンス、ビジュアルで自らを主張し、YOSHIKIはまた一味違う存在感を放った。他のメンバーが派手なビジュアルを止め、徐々に素顔を見せるようになる中で、HIDEだけは以前のような派手さはなくとも、独自のビジュアルを貫いていった。

    1993年から開始したソロ活動では、作詞作曲ボーカルギターベース(一部曲)、プロデューサーなどほとんどを自らが行ったマルチプレーヤーである。

    X JAPAN解散後のソロ活動はhide with Spread Beaver名義となった。 hideと、ソロ活動のツアーサポートメンバー(バックバンド)による一つのバンドに近い形態であり、hide曰く「沢田研二エキゾチックスみたいな感じ」だという。 それとは別にzilch(ヂルチ)という日本国外のミュージシャンと組んだバンド(ユニット)があり、アメリカ(世界)デビューを計画していた。

    解散前のXも含めてこれらの活動は基本的に平行して行われていたが、それらが軌道に乗り始めた矢先に死去した。

    本名は松本秀人(まつもとひでと)、神奈川県横須賀市出身。血液型はAB型。逗子開成高等学校卒業。

    少年時代に肥満児であった事は有名で、内気で大人しい性格でもあった。 小学校の卒業文集の将来の夢の欄には「医者になってみはなされた患者さんを助けてあげたい」と書いている。 また、教育熱心な家庭であったのか塾や習い事に通う忙しい小学生であったという。アメリカへの集団でのホームステイも経験している。 その当時を知る人は、少年時代のhideからはテレビなどで活躍するhideの姿はとても想像がつかなかったと語っている。

    中学生の頃にKISSレコードを初めて聞いた時に大きな衝撃を受け、ロックに目覚める。 以後は俗に言う「ロック少年」となり、様々なロックを聴き漁るようになる。 そういった中でhideが強く影響を受けたバンドには、主に、KISS(特にエース・フレーリー)、クラッシュアイアンメイデンなどの名前が挙げられる。 山本恭司 (BOW WOW) のファンでもあった。

    その後、エレキギターを手に入れたが当初はバンド活動はしておらず、そのまま高校へと進学した。 その進学した高校が「エレキ禁止」であったためにバンドを組めずにいたが、不良の溜まり場などと言われていた横須賀のドブ板ストリートに出入りするようになり、そこで出会った仲間達とバンドを結成する。 このバンドがX加入以前に活動していた唯一のバンド、「サーベルタイガー」となった(正確には、中学でもバンドを組んだが形だけで音楽活動はしなかった)。

    また、「おばあちゃん子」であったhideは美容院を営んでいた祖母からの影響を少なからず受けている。 祖母と言うには若くて派手な人であったために、後のファッションなどの基盤となったとも言われ、更に高校卒業後には美容師専門学校へと進み、卒業をして実際に美容院で働いてもいた。 「サーベルタイガー」を解散した時には、全ての音楽活動からは足を洗って美容師として生きていこうと決心をしたが、結局はYOSHIKIの誘いでXに加入することになる。

    hideは基本的にテレビゲームが好きで、好んで視聴したり遊んだりしていた。 そのために、これらがあるとそればかりをしてしまうために、一年の内の多くを過ごしていたロサンゼルスでは(日本のテレビ番組が放送されないため)音楽ぐらいしかやる事が無く、集中できるために音楽を作るには適した環境と語っていた。 テレビ番組の中では特にお笑い番組が好きで、当時人気を誇っていた「ダウンタウンのごっつええ感じ」などがお気に入りであり、ダウンタウン(特に松本人志)のファンでもあった。 また、スーパーファミコンソフト『スターフォックス』にはまっていたために、デビューシングルの『EYES LOVE YOU』のPVではそこから得たアイディアを取り入れている。

    hideは酒好きで有名。日本酒が好み。ただし、X加入までは殆ど飲めなかったらしい。Xに加入したHIDEに酒を教えたのはPATAであると言われる。

     

    • 1986年、サーベルタイガーは人気・知名度も上がり、その名が知られるまでになっていたがメンバーの脱退などをきっかけに解散。一度は音楽をやめるつもりであったが、同じようにバンド活動をしていたXYOSHIKIからの誘いを受けてXに加入した。
    • 1989年4月にXはアルバム『BLUE BLOOD』でメジャーデビュー。ギタリストにとどまらずビジュアル全般を担当し、メンバーの髪のセットなどもしていたという。Xは主にYOSHIKIが作詞・作曲を行っていたが、HIDEも一部曲で作詞・作曲をしていた。
    • 1993年8月5日、『EYES LOVE YOU』(アイズ・ラブ・ユー)、『50%&50%』(フィフティー・フィフティー)のシングル2枚同時発売でソロデビュー。Xと平行してのソロ活動が始まった。
    9月23日にはZI:KILLのTUSKと、映像作品『Seth et Holth』を発表する。「ZI:KILLとhide=ジキルとハイド」という洒落にもなっている。
    • 1994年2月、初のソロアルバム『HIDE YOUR FACE』(ハイド・ユア・フェイス)をリリース。ジャケットを飾る、仮面のオブジェは映画『エイリアン』などで有名なH・R・ギーガーによるデザインである。
    また、同年3月から4月にかけて初のソロツアーを行った。
    • 1996年、アマチュアバンドであったZEPPET STOREの楽曲や存在を世間に知らしめたいという動機からLEMONed(レモネード)を立ち上げる。
    5月22日に同名タイトルのオムニバスアルバムとビデオを発売しレーベルの存在を公にした。また、6月より2ndアルバム『PSYENCE』に向けての活動が始まった。
    • 1997年9月、TOSHIの脱退により、X JAPANの解散を発表する。12月31日の「THE LAST LIVE」をもってXは解散した。しかし、「2000年X再結成」をメンバーと約束していたという。(hide死去時にYOSHIKIが公表)
    • 1998年5月2日、朝7時30分頃にhideは自宅マンションの寝室で首を吊って呼吸停止した状態で、同居していた婚約者によって発見された。病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。享年33。
      • 5月5日、関係者のみ300人を集め密葬が執り行われた。
      • 5月6日通夜、5月7日告別式の両日はファンの献花を受け付け、連日ファンが大挙して押し寄せた。
      • 5月7日、脱退したTOSHITAIJIを含むX JAPANメンバーをはじめ、親交のあった音楽仲間や業界関係者も列席した。告別式はテレビで生中継された。
    • 5月13日、シングル『ピンクスパイダー』、5月27日にシングル『ever free』を、生前に予定されていた通りにリリース。『ピンクスパイダー』は、hideとI.N.Aによって確立されたサイボーグロックの最高傑作と呼ばれている。
    • 7月23日zilchとしての1stアルバム『3 2 1』が発表される。zilchはレイ・マクヴェイと、ポール・レイヴンというメンバーと共に結成した前衛的なロックバンド(ユニット)である。
    • 10月21日、未発表曲としてシングル『HURRY GO ROUND』がリリース。これは生前に録っていた仮歌の音源を使用して、hideと共に最もレコーディング作業に深く関わっていたI.N.A.によって完成された。
    • 11月21日、アルバム『Ja,Zoo』がリリース。このアルバムは生前には未完成であったが、Spread Beaverのメンバーや、サーベルタイガー時代からの仲間であるkyoや菊池哲などの参加により完成された。
    • 2000年7月20日、記念館hide MUSEUMが故郷である神奈川県横須賀市の海岸沿いに開館した。
    衣裳や楽器などhideにゆかりのある品々を展示、併設の「Cafe Le PSYENCE」ではライブも行われた。
    オープン式典にはX JAPANファンを公言し、設立にも協力したという衆議院議員小泉純一郎も出席。
    横須賀市内を走る湘南京急バス堀内営業所でも、hide並びにhide MUSEUMをテーマにした路線バスを2台製作・運行させている。
    • 2005年9月25日に記念館は閉館。当初は3年間の期間限定であったが結果的に2年延長された。閉館後も展示品などは時期を見て公開する予定である。

     

    hideとINA

    hideのツアーメンバーでもあるINAだが、元々はXのレコーディングに参加していたスタッフであった。 その後、hideがソロ活動を始めた際に全面的に参加するなどhideの音楽にとても深く関わっていく事になる。 ツアーでも本来は俗に言う「裏方」であった筈だが、hideが無理矢理表舞台へ引っ張り出したという話である。

    しかし、単なる製作スタッフやメンバーという存在にとどまらず、hideには欠かせない存在であった。 hideは自宅に一通りの機材を揃えてデモテープを自宅で製作していたが、この作業は常にINAと二人で行っていた。 「hide」というミュージシャンを、松本秀人(≠hide)とINAの二人でプロデュースしているという感覚であったらしい。

    このデモテープはデモテープとしては質の高いものであり、これは、質の高いデモテープを作る事によってレコーディングに携わる人間に対して曲の意図をより明確に伝えられるためである。 また、アルバム『PSYENCE』の中の『LASSIE』は雰囲気などのために敢えてデモテープの音源をそのまま収録してある。

    「INA」として世に出るようになってからも、hideは本名の「稲田君」と呼んでいた。(PATAの事を「石塚君」とも呼んでいた)

    LEMONed

    LEMONed(レモネード)はhideの設立したレーベルであり、英俗語である「LEMON(=不良品)」に過去形の「ed」を付けて、「不良品だった」という意味を込めた命名である。 また同時に、大量生産されるこの時代で僅かな確率で生産された「不良品」が、似た者同士のアーティストの中で異彩を放ち、「僕たちもかつては不良品だった」と笑えるようにとhide自身語っている。 ZEPPET STOREとの出会いをきっかけに立ち上げたが、音楽に限らずhideが「良い」と思ったものをサポートしていくために設立された。 音楽以外には、ファッションやグッズの販売店や美容院、モータースポーツF3000参戦などがあった。毎年夏にはMIX LEMONed JERRYを開催、また千葉マリンスタジアムでのイベントなども行った。

    zilch

    zilch(ヂルチ)は、レイ・マクヴェイ (Ray McVeigh) (元PROFESSIONALSSEX PISTOLSのサポートなど)、ポール・レイヴン (Paul Raven) (元Killing Joke、元PRONG、ベーシスト)というメンバーと共に結成したバンド(ユニット)である。 当初のメンバーはhideを含めた三人とされているが、様々なミュージシャンを加えるなど、敢えてメンバーの固定化をしない柔軟な体制でもあった。

    ロックンロールパンクヘヴィメタルグランジオルタナティブインダストリアルといった、それまでのロックを消化した新しい形のロックを目指していた。「サイボーグロック」という言葉も使われる。 完成されたアルバム『3 2 1』は、「邦楽」と「洋楽」という垣根を超えた、非アメリカ人によるアメリカへ向けての挑戦状であった。 「hide」に求められる音楽と、hide自身がやりたいと望む音楽とのギャップを取り除き、hideがやりたい音楽を、純粋に良いと思う音楽を作るという目的もあった。

    アルバムリリース後にツアーなども構想されており、真夏のロック・フェスティバルサマーソニック」の前身イベント「beautiful monsters tour」ではマリリン・マンソンとの共演も予定されていた。

    hideのいなくなった後も残されたメンバーや様々なミュージシャンによって活動は継続されていた。

     逸話

     

    1998年5月1日、hideはSpread Beaverのメンバーと共にフジテレビ音楽番組「ロケットパンチ!」の収録を行う。 その打ち上げ後、日付をまたいで更に飲み、泥酔したhideは実弟でマネージャーの松本裕士が運転する車で自宅マンションまで送られた。

    5月2日朝7時30分頃、hideは自宅マンション寝室のドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態で発見された。 その後、病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。 当日午後3時頃から、一斉に「X JAPANのギタリストhideが死亡、警視庁は自殺と断定」と報道された。

    警視庁が自殺と断定した根拠は、ドアノブにタオルを巻きつけて首を吊った状態で発見されたという状況証拠である。 そのためニュースやワイドショーでは自殺したものと扱われた。

    しかし、当初から事故死だったのではないかという見方が出ていた。 遺書がなかった事、死去前に自殺するような印象を残していなかった事、直前にも自殺を感じさせる兆候はなかったと証言されている事、生前のインタビュー、死去の数日前にhideが都内に建てるスタジオの土地の仮契約をしていた事、などといった理由がこれに関連する。『ピンクスパイダー』の一連の歌詞について「自殺」と関連付けられる説もあるが、これについてはhide自身が雑誌等で「『ピンクスパイダー』の歌詞は『世の中そんなに甘くはない』という挫折と失敗を表した歌。『若いうちは後先考えず突き進め』というメッセージを込めた『ROCKET DIVE』、『人間何度でもやり直せる』という再生・再起の意味を込めた『ever free』と合わせて3部作の1つとして聴いて欲しい」と語るなど、死を意図したものとは位置付けられていない。

    後に発表された松本裕士の見解は、「ギタリストである彼は、職業柄肩こりが激しかった。タオルなどで肩を吊ってマッサージしていたという。これは、スポーツ選手などがよくやる牽引(タオルを首にかけて引っ張る方法)である。死去直前の5月2日未明まで酒を飲んでおり泥酔状態でそれをしてしまった為、そのまま眠ってしまい、結果事故死した。」というものである。 警察の発表した「自殺」に対して、hideの死去は主にファンの間では「不慮の事故死」と見られている。

    しかし、『HURRY GO ROUND』の歌詞や、ラジオ番組オールナイトニッポンR」での発言が意味深長で自殺に関連するのではないかという見方や、はたまた事故ではなく自殺だと断言している人間の存在までもあり、様々な見解がある。警察は雑誌取材などに「『牽引』にしては首の輪が小さく、むしろ死を意図するものであった。また、『バンドや音楽活動で悩み酒量が増えていた』と聞いており、突発的に死に踏み切ったのだと思われる」と答えている。

    なお、YOSHIKIは「彼は自殺するような人間ではない。」と発言している。

    死去後に時間が経過してからは、テレビなどでhideを取り上げる際には「自殺」、「事故死」という言葉を使わず、「急死」または「急逝」とされている。これは自殺、事故どちらも断定するには曖昧だからだからと思われる。

    葬儀までの5日間

    hideの遺体は5月3日東京都中央区築地築地本願寺に安置された。夕方、YOSHIKIがロサンゼルスから帰国し成田空港から築地本願寺に直行、遺体と対面をした。

    翌日5月4日、週が明け本格的にワイドショーなどで大々的に取り上げられる。 築地本願寺にファンが集まり始め、その数は千人規模となる。 夕方にYOSHIKIが寺の正面に姿を現し、報道陣を前にメッセージを発表した。

    5月5日には、関係者のみ300人を集め密葬が執り行われた。 その間もファンは絶え間無く押し寄せ、その数は数千人にも膨れ上がった。 また、疲労と心労が重なったファンが次々と倒れ、救急車で病院に搬送された。 さらに、「hideが自殺」と報道されていたためにファンの後追い自殺が東京都調布市や千葉市、築地本願寺境内で相次いだ。 そのため、翌日には警視庁の要請でX JAPANのメンバーが記者会見を開き、自殺を思いとどまるように訴えた。

    5月6日の通夜、5月7日の告別式の両日はファンの献花を受け付け、連日ファンが大挙して押し寄せた。 「ファンは列に並ぶ際、パニックになるような事も無く、むしろ近隣住民の迷惑にならないようにゴミ拾いまで進んで行う素行の良さであった」と葬儀翌日の朝日新聞・天声人語で語られているが、実際は各所で将棋倒しなどの事故、警察の対応の悪さによるパニックも起きている。 これまで有名人の告別式などが催されたことがあるが、美空ひばり尾崎豊の告別式に訪れた人の数を超え、これほどまでファンが集まったのは過去に例が無い。

    5月7日の告別式はテレビで生中継された。 告別式には、脱退したTOSHITAIJIを含むX JAPANメンバーをはじめ、親交のあった音楽仲間や業界関係者が列席した。 築地本願寺開山以来のグランドピアノ持ち込みによるYOSHIKIの伴奏で、TOSHIがX JAPANの『Forever Love』を歌った。 hideの『Good Bye』が流される中、出棺される。 道路に交通規制が掛けられ一般車両を完全に止めた状態であったが、ファンが大挙して道路に広がり霊柩車を追いかける非常事態となり、築地本願寺周辺がパニック状態になった。

    その後、hideは渋谷区の代々幡斎場で荼毘に付された。 法名「秀徳院釈慈音」(しゅうとくいん しゃくじおん)。 遺骨は四十九日法要をもって、神奈川県三浦市の三浦霊園に納骨され、一部はロサンゼルスの海に当時のzilchのメンバーや松本裕士によって散骨されている。

     

    ツアーメンバーの名前、パートなどはほぼすべて当時の表記である。

    • hide FIRST SOLO TOUR '94 『HIDE OUR PSYCHOMMUNITY ~hideの部屋へようこそ~』
    • hide solo tour 1996 『PSYENCE A GO GO』
      • hide (VOCAL & GUITAR)
      • PATA (GUITAR) (X JAPAN)
      • KIYOSHI (GUITAR) (media youth)
      • CHIROLYN (BASS) (DEBONAIR)
      • JOE (DRUMS) (ZIGGY)
      • D.I.E. (KEYBORD)
      • I.N.A. (COMPUTER & PERCUSSION)
    • hide with Spread Beaver appear!! 『1998 TRIBAL Ja,Zoo』
      • hide (GTR & Vo) (ex. X JAPAN)
      • I.N.A. (Computer & Percussion)
      • KIYOSHI (GTR) (MEDIA YOUTH)
      • CHIROLYN (B) (DEBONAIR)
      • JOE (Dr) (ZIGGY)
      • D.I.E. (Key)
      • KAZ (GTR) (OBLIVION DUST)
      • PATA (GTR) (ex. X JAPAN) ※助っ人怪人

     

    hideはX加入以前のアマチュア時代から長年フェルナンデス(Burny)製のモッキンバードモデル (MG) を愛用していた。 様々なデザインの物が多数存在するが、hide自らがマーカーで描いたサイケデリックなデザインのモデルやショッキングイエロー地にハート模様のモデル(俗に言う「イエロー・ハート」)が特に有名と思われる。

    主にレコーディングで使用していたギターにはギブソン1959年製造のレスポールスタンダードなどや、フェルナンデスの通称「レモンドロップ」MGモデル、通称「くじら」モデルなどがある。 また、この59年製のレスポールはPATAの所有する59年製レスポールとは型番が数番違いであり、全くの同一またはそれに近い時期に作られたのではないかとの事。

    • 難病を患ったファンである少女の「hideに会いたい」という願いを、支援団体を通じて受けたhideは1995年12月31日、Xの東京ドームライブで少女と会い、ライブの打ち上げにも招待して少女を友達だと紹介した。その後も手紙を送ったり、お見舞いに訪れたりという交流を持ち、少女を励ますことになった。翌年、治療のために骨髄移植手術を受けた少女が手術後の拒絶反応のため心臓に水が溜まり危篤状態となり、彼女の母親から「最期を看取って欲しい」と連絡を受けた時にはその日の予定を全てキャンセルし、病院へ駆けつけて数時間の間励まし続けた。結果、その晩に危篤状態を抜け出し徐々に病状は良くなって数ヵ月後には退院する事もできた。その後にhideは「できることをするだけ」とあくまで個人的に骨髄バンクに登録をしたが、その際に所属事務所が独断で急遽記者会見をセッティングしてしまい、実弟でありhideのパーソナルマネージャーを務めていた松本裕士は、そのことを一切知らなかったと後に出版した追憶本「兄弟」の中で明かしている。記者会見自体は行われたが、その後にhideは「これじゃあ売名行為じゃねえか!!」と言って彼を殴り飛ばした(hide自身ももちろんその事は知らなかった)。慈善活動をひけらかすような行動を嫌っての事であったが、結果的にはこの報道が骨髄バンクの認知度向上に大きく貢献する事となった。
    • Xの「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」というフレーズを考案。これがヴィジュアル系という言葉を生み出したのはhideと言われる所以になる。また、hideが音楽界に与えた視覚面や音楽面の影響は多大で、音楽ライターの市川哲史などからヴィジュアル系はhideから始まってhideで終わったとも言われている。
    • ファン想いであることが有名で、大物になるほど回避しがちなTV出演について「地方でライヴに来られないファンの為にも出る」と積極的であったり、「チケット代も安くないのに、更に高いお金を遣わせるのはいけない」と、ソロ活動についての関連グッズは全て5,000円以下であったという。
    • hideが初めて手にしたギターは新古品ギブソンレスポール(ナチュラルカラーのレスポールデラックスモデル)であった。祖母に無理だと思って頼んでおいたら、在日米軍横須賀基地内に出入りが出来たのでフリーマーケットで買ってきてくれたという。当時は現在以上に高級品でロック好きには憧れの的であったために、隣の学校や、「友達の友達」という人までが自宅にギターを見に来るという状況になった。
    • hideの勤めていた美容院の常連にヤクザの娘がいて、その常連が行方不明になったとき、その常連の日記の最後に「松本秀人 サーベルタイガー」と書いてあったため、その関連性を疑われ、車に乗せられる。富士の樹海まで連れて行かれ、自白するよう強要されたが、hideは「分からない。」と主張し続け、なんとか解放してもらう。
    • hideがサーベルタイガーを解散させ、ミュージシャンを辞める決意をしたとき、親交のあったミュージシャンにその事を電話で話した。しかし、サーベルタイガー時代からhideの活躍ぶりは有名で中にはバンドへの誘いもあったが全部断ってきた。その最後にYOSHIKIに掛けた際、YOSHIKIに「Xに入らない?」と誘われた際、hideは、「ちょっと考えさせて。」と言った。翌日、都内にある居酒屋でそのことを承諾すると、それまでそばでおとなしくしていたTOSHIとTAIJIが歓喜をあげ、酒を飲みまくり挙句の果てには組体操まで行うことになった

     Xを知る以前から聴いており、変わった歌い方だな、と思っていた。しかし曲によっておふざけの様な歌い方から、低音のヴィジュアル系っぽい歌声まで出せるので、小さい頃は気づかなかったが今では改めて凄い人なんだな、と感じている。

    ロケットダイブでは勢いをくれ、everfreeでは夢、自由を、そしてピンクスパイダーでは現実。夢を追いかければ自由がなくなる、自由で行けば夢は掴めない…

     -ご冥福をお祈りいたします-

     『ROCKET DIVE

    当時解散のショックで落ち込むファンへ向けたhideからのメッセージが込められている。そのため「一刻も早くファンへ届けたかった」とのhideの言葉通り、X JAPANの最終公演「THE LAST LIVE」から1ヶ月足らずで発売された。 歌詞に遊んでいるような感じがあり、ロックとはいえ誰でも入り込めるような曲調にもなっている。ギターに暗い部分が全くと言っていいほどなく、まさしく盛り上げ、気分↑↑に適している。これに何人のファンがXの解散のショックから癒されたことか…後に発売されたトリビュートアルバム『hide TRIBUTE SPIRITS』にて布袋寅泰がカバーしている。

    続きを読む "☆hide☆"

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    2007年3月19日 (月)

    ☆新谷良子☆

    Ryoko 新谷 良子(しんたに りょうこ、1981年3月31日 - )は、石川県金沢市出身の女性声優歌手である。B型牡羊座。紅屋25時(アットウイル)を経て現在ビーボ(声優マネジメント)・ランティス(レコードマネジメント)所属。

    石川県星稜高等学校卒業→日本工学院専門学校演劇俳優科声優コースへと進む。在学中に清水愛坂本美里等と「めぇめぇもぉ」を結成。ラジオやイベントへの出演を行っていた。その後、ゲーム『プリズムパレット』のオーディションで、グランプリを受賞する。しかし、同ゲームの制作の遅れのため、ブロッコリーからのお詫びとして、ゲーム『ギャラクシーエンジェル』のオーディションを勧められて、主役のミルフィーユ・桜葉役(元々は田村ゆかりの予定だった)として、見事合格してデビューを果たした。同時にテレビ『ゲーマーズエクスプレス』の司会を務める。以降は、数々のブロッコリー提供のテレビ・ラジオで、司会を務めている。また、ミニアルバム『ピンクのバンビ』で、歌手デビューを果たす。バンビポップと称する音楽スタイルで、歌手活動を展開している。

     

  • ピンクが大好きで、本人のファッションやCDジャケットには、そのカラーがよく表れている。
  • 好きな食べ物は、魚のかんぱちとメロン。ブラックコーヒーや炭酸飲料の類は苦手。
  • 特技は、トランポリンとピアノ。
  • 座右の銘は「はっぴぃ・はっぴぃ・すまいる」。これは彼女のライブツアーのタイトル名として、現在のところ毎回使用されている。また、ライブ終盤に歌う曲として、同名の曲があるのだが、これはライブ限定で歌われており、CD・ライブDVDなどには、完全に収録されていないが、ライブDVD『"はっぴぃ・はっぴぃ・すまいる'05" chu→lip☆Legend』のDisc4(金沢公演)には、触りの部分だけを見る事が出来る(これは本来入れる予定がなかったが、金沢公演だけ本人のピアノ弾き語りで行われており、本人が入れたいと言う要望により、触り部分だけ収録される事となったと、発売記念イベントで語っている)。
  • 舞台『想い出色の輪舞』で、二役を演じる事になったが、稽古中「演じ分けるにあたって、両者の精神年齢が気になる」と、演出の下田正美に疑問をぶつけた。共演した俳優の寺崎正信は、その真摯な姿勢に深い感銘を受け、後に「脚本に書かれている以上の事を追おうとしない若い役者が多い中で、このような一見当たり前のような疑問も無視せずに向かい合った。役を作る楽しさも難しさも知っている」と、自身のウェブサイトで記す。
  • どうぶつの森』ゲーマーや『舞-乙HiME』繋がりで、田中理恵とも親交を深め、野川さくらを加えて、通信プレイする事もしばしばある。喜多村英梨は、彼女を神格化するほど、崇めている。
  • 星稜高等学校卒で、野球選手の松井秀喜の後輩であるが、ラジオなどで語る事は、高校野球大会開催時など、野球関連のイベントがある時くらいで、自慢する事はあまり無い。
  • スカートルックが多く、パンツルック系は、イベント等でしかお目にかかれない。
  • ラジオ「A&G超RADIO SHOW~アニスパ!~」の2007年2月17日放送分で、裏ベストアルバム「The Great Bambi Pop Swindle」発売に際して、パーソナリティの鷲崎健に(事務所とLantisの許可の下で)尾行された。その際に、ファンのフリをしたアニスパスタッフにサインを求められたところ、その時たい焼きを購入していたことを、必死に隠そうとしていた。
  • 女性声優の中でも屈指のナイスバデイであり「ギャラクシーエンジェル」で競演した「かないみか」にかなり気に入られていた。
  •  ファンクラブ「PINK☆ROCKS」

    入会特典

    • オリジナル会員証の発行
    ピンク色のプラスチック製でシンプルなもの
    • 入会特典オリジナル「もばいる☆くりーなー」プレゼント
    • ファンクラブ会報の発行(年4回/1・4・7・10月下旬頃発送)
    会報はA5変形判(長形3号封筒に収まるサイズで縦長)のオールカラー
    • オリジナルグッズの通信販売
    • コンサートチケット先行予約
    • メッセージカードのお届け
    • ファンクラブイベントへの参加
    • 「PINK☆ROCKS」会員限定WEBページへのアクセスパスワード

     うん…まあ声優としての活躍はまあ結構ッスよ。紹介部分に"ナイスバディ"という表記があるけれども、どーなんだか。ムチムチなだけ疑惑もアリ。そこんトコは知らん。オレは写してるだけだし。

     実は楽曲がオレ的にものすごい好みのものが多かったりする。"Bambi POP"とか本人言ってるけども、どっちかというとRockに近い。いや…オルタナティブ&パンク的な曲もあるので、声優とはいえ実はバカにはできない曲を沢山持っている。でもあんまし売れてないんだけどもwwwシングルはともかくとしても、アルバム曲には隠れた名曲多し。インディーズでバンド組めばいいのになあ。HipHop/Rapも出来るのだからそれに合わせた楽曲をもっと!新谷式ガールズロックを堪能あれ。

     『Chained Diary 』

     アルバム『Pretty Good!』に収録。完全にロックだと思うんだけども。歌詞は案外普通…と思うと後半でV系的に変化。そう、Psycho le Cemeのような感じ。ヴォーカルをDAISHIにすると見事に当てはまるんだなコレが。過ぎ行く日々。変わっていく日常の中の自分のあり方みたいなのを日記のように綴ってる。"リグレット"というのがキーワードっぽくて何か残るね。今んとこコレが一番好き。

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    2007年3月18日 (日)

    ☆木村カエラ☆

    Kaela_050211 木村 カエラ(きむら かえら、1984年10月24日)は日本女性ファッションモデル歌手タレント。本名:木村 カエラりえ (Rie Kaela Kimura)。

    東京都足立区綾瀬出身。中央区中学校・東京都立向丘高等学校卒業。 身長154.6cm。B82W59H83。血液型A型(saku saku初登場時(18歳)のときは自分の血液型を把握できていなかった)。左利きソニー・ミュージックアーティスツSMAエンタテインメント所属(T-BOOMにも在籍)。

    父はイギリス人、母は日本人のハーフ(ユーラジアン)。カエラ(Kaela)とはヘブライ語で「最愛」の意味。本人曰く「両親はそんな意味を知らず、語呂がいいからつけたんじゃないか」とのこと。また、タモリ倶楽部に出演したときには、「イギリス人は、私の名前をカエルと発音してしまう」と語った。
    趣味はギター、ピアノ、服作り。昔、神社で巫女のバイトをしたことがある。英語は子供の頃は喋れたが今は忘れて話せないらしい。ただし、後述のsaku saku番組内では他の出演者より抜群に発音が良い。 また、高校時代から「animo」という名前のインディーズバンドを続けており、2005年には「...of newtypes」というオムニバスCDにも参加していた。

    ノー・ダウトのボーカルグウェン・ステファニーから影響を受けている。また、ランシドのTIMの大ファンでもあり、自らモヒカンフリークと名乗る。パンクロック思考や、アーチスト性が高いとの業界からの評判で、スキャンダラスなフォーカス記事が出ても殆ど影響しない脱アイドル/アンチアイドルの数少ないミュージャンとしてオリジナルの道を確立した第一人者でもある。

    ライブツアーは大ホールはあまり利用せず、1000人規模の集客のライブハウスを中心に活動している。

    ガンダムシリーズのフィギュア・プラモデルを自分の部屋に飾っているが、ファースト派である事をラジオ番組でカミングアウトした。saku sakuで「相方」であった増田ジゴロウ白井ヴィンセントの操縦者である黒幕がファースト派であったため、そこから多大な影響を受けている。(出演したての頃は全く話題についていけず、DVDなどを見て勉強していった。その過程で徐々にハマり、最終的にはゲストに薦めるまでになった)

    自身がMCをつとめていた「saku saku」内における会話などから、時間にルーズな傾向があるようだ。saku sakuに遅刻した理由を問われて「おばあちゃんを3人(もしくは4人)助けていた」と発言して言い訳したり、saku sakuのMCをやめる際に放送された「辞職会見」においても遅刻がネタにされたりしている。 漢字が読めないこともよくネタにされた。視聴者からの葉書に書いてあった猪(いのしし)という漢字を狼(おおかみ)と読み、「左側(けものへん)同じじゃん」と逆ギレしたり、小児科(しょうにか)を(こじか)と言ったり蕎麦(そば)を(むぎ・・・)など漢字の読み書きが苦手である。

    コスプレが好きなようで、saku saku内では幾度かコスプレを披露している(制服、小悪魔、サンタなど)、特にセーラームーン風のコスプレでシーマー・ムーン(月島からの命名)なるキャラクターをやることによって象徴される事柄である。

    好きなお笑い芸人は波田陽区江頭2:50。漫画好き。好きな漫画はワンピース、全然似ていないチョッパーの物まねをsaku sakuの黒幕に伝授した。最近では、「性欲がすごい、出てくる女性が有り得なくて面白い」との理由で島耕作シリーズにはまっているらしい。

    得意なスポーツは水泳、ラジオ番組でクイズとして出された(言ったのはそのときが初めてとのこと)

    週刊少年マガジン」(講談社)で連載中の久米田康治による漫画作品『さよなら絶望先生』にて、木村カエラを元ネタとした木村カエという登場人物がいる。

    1stアルバム以降作曲者に大物が多く、「happiness!!!」の頃のシンプルさに戻って欲しいと願うファンも少なくない。

    萌え」という言葉が顔を顰めるほど嫌い。自身のラジオ番組「OH! MY RADIO」では、「『萌え』か・・・あたしの世界で一番嫌いな言葉ですね」と断言した。

    毒舌であることで知られている。ライブの際にファンに向かって、「バカヤロー、呼び捨てにすんな!」と発言し、スポーツ新聞に「木村カエラ、女版毒蝮三太夫だった」と書かれた。最近では、「うたばん」に出演した際、中居正広を「お前」「使えない」呼ばわりして衝撃を与えた。この件に関して「とんねるずのみなさんのおかげでした(新・食わず嫌い王決定戦)」に出演した際には、石橋貴明が『中居正広にお前って呼べるのは彼女(カエラ)しかいませんよ』と談笑していた。

    タモリ倶楽部でD・M・Cデトロイト・メタル・シティ)のTシャツを着ていた。

    「Sakusaku」などでは浜崎あゆみこずえ鈴松任谷由実コジコジなどのモノマネを得意として披露している。

      「SEVENTEEN」誌の専属モデルとしてティーンエイジャーを中心に注目を集め、その後もラジオ、TV、映画など、活躍の場をどんどん広げている木村カエラが、コンサートを行う。1stアルバム『KAELA』を昨年12月にリリースしたのに加え、コミック「NANA」のトリビュート盤への参加など、のりにのる二十歳のパワーが炸裂する。

     木村カエラは、まず2002年に「Seventeen」誌の専属モデルとして活躍を開始。最初はティーンエイジャーを中心にファッション・リーダーとして注目を集めていた。しかし2003年からはTV番組「saku saku」への出演で、増田ジゴロウとの絶妙な掛け合いが評判となって一気に知名度を広げ、昨年6月にシングル「Level 42」でデビュー。12月8日にはファースト・アルバム『KAELA』もリリースしている。

      元々彼女はランシドなどのハードなロックを好んでいるだけあって、このアルバムのプロデューサーには、山沢大洋、會田茂一らを起用。いわゆるアイドル路線とは違って、サウンドもかなりロック色が強い濃密な内容となっている。その上で彼女は、ブロンディなどに通じるような、どこかノスタルジックな切なさを感じさせるポップな輝きを放つボーカルを披露。さらに単に歌うだけでなく、日本語と英語を巧みに使い分けた独特な作詞のセンスも発揮している。

      ライブ活動については、昨年11月6日に、横浜BLITZで初めてのワンマン・ライブを行ったばかり。まさにこれから多くの場数を踏んでいくフレッシュな存在といえる。しかも今回のコンサートに先立つ3月16日には、彼女が参加したトリビュート盤『LOVE for NANA~Only 1 Tribute~』も発表も予定。これは矢沢あいの原作によるロック・バンドにまつわる青春群像を描いた人気コミック「NANA」の世界を、サウンドで表現したものだ。

      つまり彼女は、ロックを発想の軸に置きつつ、ラジオ、TV、映画、雑誌、コミックなど、様々なジャンルにリンクしているということになる。それだけに、今回行われるコンサートは、現在二十歳の若さでマルチな活躍を繰り広げている彼女の多彩な魅力が炸裂するに違いない。

    小6のときに原宿カットモデルとしてスカウトされる。宝島社CUTiE読者モデルを経験後、集英社ミスセブンティーン2001に選出され、セブンティーン専属モデルとなる。2003年3月31日tvksaku saku』でテレビ初登場。

    2004年5月10日、「saku saku」の企画としてインディーズから「Level42」を、「saku saku」にちなんで390円390枚数量限定で神奈川県のCDショップ新星堂にて限定販売したところ、2000人以上が殺到して3分で完売。6月23日、「Level42」でメジャーデビュー。10月27日リリースの2ndシングル「happiness!!!」は自身出演のCMソングに起用されスマッシュヒット。12月8日に発売された1stアルバム「KAELA」はオリコンチャート初登場8位を記録した。

    2005年3月30日、3rdシングル「リルラ リルハ」をリリース。オリコンシングルチャート初登場3位を記録した。「リルラ リルハ」はボーダフォンCMソングに起用され、彼女の存在はもはや全国区となった。その春、セブンティーンモデルを卒業。10月5日には奥田民生プロデュースの「BEAT」が発売。

    2006年1月18日リリースの「You」(キットカットCMタイアップ曲)は東京のFMラジオ局J-WAVEのヒットチャート番組「TOKIO HOT 100」で1月29日に1位を獲得し、既にその前週まで11週連続1位を獲得して番組記録更新となる12週連続1位を目指していたマドンナ「HUNG UP」の記録を阻止した。 さらに、同年にはキリンラガーCMソングのために再結成されたサディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mica Band Revisited)のボーカルに迎えられ、さらにカエラの名前を入れたSadistic Mikaela Band名義でアルバムを発売することになった。

    2007年2月14日リリースの3rdアルバム「Scratch」は自身初のオリコン週間チャート1位を記録した。その後も2週連続で1位をキープした。

     可愛い、ではなく綺麗というのが似合うね。まあデルモ…じゃなくてモデルだもんね~。初めはPOPな感じの曲が多かったのに最近はカッコイイロック系の曲のリリ-スばっかだね。でもどっちもこなせるというのは強みだからいいんじゃないの。声も低めだからロック調も合うんだろうね。

     『happiness!!!

    スウィンギンなミディアム・ロック・ナンバー。音程のアップ・ダウンの激しい曲でも堂に入った歌いっぷりがまたいい。歌詞は全てポジティブに。歌に込める思いは熱くて、そしてとってもキュートに仕上がっている。最近の楽曲には欠けてきてるのかも…

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    ☆Janne Da Arc☆

    P_jannedaarc01

    Janne Da Arcジャンヌダルク)は、日本ロックバンド。所属レコード会社はavex(レーベルは、エイベックス内部レーベルのmotorod)。メンバーのshuji、you以外は大阪府枚方市生まれ(因みにshuji、youは神戸市生まれ)。略称は「ジャンヌ」。また頭文字をとって「JDA」と表記されることもある。

    ファンの事は「janner」(ジャンナー)と呼ばれているが、インディーズ時代~デビュー初期頃までの呼称は「Darcar」(ダルカー)であった。そのためメンバー達も最初は馴染めなかったそうである。

    なお、メンバー表記のアルファベットは、インディーズ時は大文字だったがメジャーデビューしてからは小文字になった。 yasu、you、ka-yuが同じ中学での同級生である。 また、ka-yu以外のyasu、you、kiyo、shujiは同じ高校(大阪府立枚方西高等学校)での同級生である。ka-yuは大阪府立城東工業高等学校に通っていた。

    1996年5月9日現在のメンバーでの活動を開始、1999年5月19日にシングル『RED ZONE』でメジャーデビューした。デビュー当時は「ヴィジュアル系バンドの最終兵器」という触れ込みだった。ヴィジュアル系の中でもSIAM SHADE同様演奏力があるとして別格とされた。インディーズ時代には、X JAPANを意識したかのような派手なメイクをしていた。(これはJanne Da Arcの前身バンドの「結膜炎」がX JAPANのコピーバンドであったからその影響を受けていると思われる。)しかし、メジャーデビューすると共にだんだんメイクが薄くなっていき、現在ではほとんどヴィジュアル系という定義には囚われてはおらず、むしろメロディアスな楽曲が評価されているため、ジャンルとしてはメロコアロックに位置づけられている。本人たちは「自分達はヴィジュアル系である」と言っている。ちなみにyouとkiyoはメイクをすることに抵抗感を持っていたため、yasuやka-yuと比べると比較的薄めのメイクで活動していた。

    バンド名の由来は歴史上のフランス英雄ジャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc)に由来すると思われがちである(後に彼女を題材とした曲『―救世主 メシア―』も発表している)が、実は漫画「デビルマン」のキャラクターからとっている。理由は、yasu曰く「かわいそうだったから(キャラクター自体が弱いため)」。また、ライブをドタキャンした際にバンド名を変更することを計画した時「デビルマン」を読んでいたyasuが「すぐ変えるだろう」と考え、キャラクターの名前を使った。 これにちなんで、デビルマンの著者永井豪Janne Da Arc 10th Anniversary INDIES COMPLETE BOXのBOXのデザインを手がけている。

    インディーズ時代の初期から人気が高かったにも拘わらず、デビューするレコード会社がなかなか決まらずメジャーデビューが遅かった。ちなみにデビューシングルは「RED ZONE」ではなく、c/w曲のsealにする予定だった。

    ボーカルのyasuが大半のシングル曲の作曲や作詞を担当。他のメンバーもc/w曲やアルバム曲の作詞や作曲を担当している。エロティックな歌詞から切ないバラードまで、恋愛モノの歌詞が主流。また、「EDEN~君がいない~」「ring」(「D・N・A」収録)「Mr.Trouble Maker」(「JOKER」収録)など、メンバーの実話をもとにした曲も製作されている。 シングル曲のseedからアルバムのANOTHER STORYまで岡野ハジメがプロデュースを担当していたが、17thシングルFREEDOM以降の楽曲はセルフプロデュース。

    ボーカルのyasuは「R-指定」という曲を相川七瀬に楽曲提供したことがある。

    またyasuは、中学時代にka-yuとバンドを組むまでは漫画家になる夢があり、学校に原稿を持ってきて描いていたほどであるという。ちなみに絵は鳥山明風だったらしい。

    曲調はハードロックをベースにポップス系のメロディが主流。創る曲はメタル寄りな激しい曲から切ないバラードまで、正式メンバーにキーボード担当者がいる為、幅広い音楽性を持つ。 3rdアルバムの「GAIA」に関しては「研究して音を録った。勢いだけじゃなくて、音楽的に洗練されたモノを作ろう。その辺のロックバンドと一緒にしないでもらおうか!」と彼らは言っている。実際、「セル」や「GUILTY PAIN」などの曲のギターソロなどはとても高レベルなものであり、「ZERO」はアコーステッィクギターであるが、高度なギターインストナンバーとなっている。

    2002 tour GAIAの頃から男性ファンが増え始め、tour 2003 ANOTHER STORYでも更に増やし、ついには男性限定ライブ男尻Nightを行う程までに増えた。

    また、「Deja-vu」(「D・N・A」収録)や「ATHENS」(「ARCADIA」収録)などの各メンバーの演奏力を生かしたインストゥルメンタル曲もある。ライブでも各メンバーのソロ演奏やセッションなどを行っている時もある。

    2004年10月からテレビアニメブラック・ジャックのオープニングテーマとして自身の楽曲「月光花」が使用され、知名度が上昇。累計30万枚を超える大ヒットを記録し、ミュージックステーションにも出演。

    お笑いコンビのカンニングはJanne Da Arcの応援リーダーとしても活動。元々、Janne Da Arcがカンニングのファンで、アルバム『ARCADIA』のCMに「とにかくキレてほしい」と出演を依頼し、その際お互い仲良くなった。kiyoは自身のブログ「kiyo風呂」で2006年12月20日に亡くなったカンニング中島忠幸の死を偲んだ。

    月光花」、「ダイヤモンドヴァージン」、「JOKER」の宣伝CMには「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」で知られるキスおばちゃんこと浅見千代子が出演している。

    2005年9月14日には韓国でアルバム「JOKER」が発売され、海外進出も果たした。

    演奏力の高さから、youとka-yuとshujiはそれぞれ教則DVDを発売している。またka-yuは指弾きによるベースプレイを嫌っている。(演奏したときの指使いが可愛いから《ka-yu談》)

    youは2006年7月22日に行われた「UDO MUSIC FESTIVAL2006」で彼の憧れのギタリストであるヌーノ・ベッテンコートと共演を果たした。

    キーボードのkiyoが製作しているブログ「kiyo風呂」が書籍化し、2006年10月13日に発売した。

    現在、fm osakaの番組、BUZZ ROCKにてジャンヌダルクの素・3rdシーズンを放送している。

    ライブではL'Arc~en~Cielhydeが見に来ることがある(yasuがhydeのファンである関係から)。これはyasuがアマチュア時代にL'Arc~en~Cielのコンサートでhydeを見たときに「あんなカッコイイヴォーカリストになりたい」と思ったことから。また「HEAVEN/メビウス」発売時の音楽誌のインタビューで「HEAVENは今の気持ちを書いた詩なのか?」という質問に対して、yasuは「あまりない。「ダイヤモンドヴァージン」あたりから恋愛系の詩はhydeさんへの気持ち」と答えるほど。その他にも自身のライブで『flower』をカバーしたこともある。

    2007年1月26日にオフィシャルサイト上で、現在のメンバーで結成10年を迎えた節目の新企画として、今後それぞれのソロ活動“も”していくと発表した。 詳しい活動内容はまだ発表されていない。

    ka-yuはファッション関係に進むらしい。

    • 1996年
    • 1998年
      • 4月17日初のミニアルバム・「Dearly」をリリース。
    • 1999年
    • 2002年
      • 9月7日日本武道館にて通算100回目のライブ「INFINITY」を行った。
      • 12月30日続く101回目のライブは、Janne Da Arcの原点である枚方BLOW DOWNで行った。
    • 2003年
      • 2月13日コンセプトアルバム「ANOTHER STORY」と、ボーカルyasuが執筆した、同アルバムの世界観を描いた小説「ANOTHER STORY」を同時発売。「CAROL」に影響を受けたという。また、同アルバムは週間アルバムチャート第4位にランクインする快挙を成し遂げる。
      • 7月から約2ヶ月半にわたって全国34カ所のライブハウスをまわるツアー“DAZE”を行った。
      • 8月21日大阪BIG CATにて男性限定のライブ「男尻Night(ダンジリナイト)」を行った。
      • 10月4日新宿リキッドルームでも同様のライブを行う。
      • 11月18日大阪府立枚方西高等学校でシークレットライブを行う。同高校はメンバーの(ka-yuを除く)母校。
    • 2004年
      • 怒涛のリリースラッシュスタート。3月24日17thシングル「FREEDOM」、4月7日に18thシングル「Kiss Me」をリリース。5月19日からデビュー5周年記念で、19thシングル「DOOLS」、20thシングル「ROMANCヨ」、21stシングル「BLACK JACK」を3週間連続でリリース。翌7月7日には5thアルバム「ARCADIA」、9月29日にはDVD「ARCADIA CRIPS」をリリース。11月17日は22ndシングル「Love is Here」をリリース。計シングル6枚、アルバム1枚、DVD1枚と壮絶なリリースラッシュを繰り広げた。
      • 5月1日渋谷公会堂にてジャンヌダルクのコピーバンド大会を行う。
      • 5月、枚方西高等学校でのシークレットライブを題材にした映画『HIRAKATA』が公開される。
      • 7月、5thアルバム「ARCADIA」が、オリコン週間売上2位となり、自己最高位を達成する。
    • 2005年
      • 3月27日、インディーズ時代から憧れていた大阪城ホールで凱旋ライブ。
      • 4月、ロングセラーとなったシングル「月光花」が累計30万枚突破。
      • 10月、キーボードのkiyoがBLOG「kiyo風呂」をひっそりと始める。初めはテスト的に、そしてマネージャーを通して更新していたが、今では彼ひとりで更新、画像の編集、トラックバックの管理などもしているという。一つの記事を書くのにかかる時間は大体3時間とラジオで語っていた。話題は豊富で音楽、グルメ、スイーツ、天体、お笑いと多岐に渡る。このBLOGからファンになる人もいる程という。月間100万アクセスを誇る超人気ブログとなり、2006年には書籍化もされている。
      • 第56回NHK紅白歌合戦の出場を辞退した。
    • 2006年

     実は名前を知らない頃から好きだった。曲が流れてくると「あ、あのバンドなのかな」などと楽しみにしてたくらいだった。ただ、たまにしか出てこないTVのテロップ表示を見ても、Janne Da Arcとは小学生では読めませんのでww結局声だけで何とか判断していくように。ストレート歌詞とV系っぽい曲調が気に入ってる。特に早い曲。

     『Lunatic Gate』

    一番初めに好きになった曲。これが耳に入らなければオレの中にJanne Da Arcというバンドは存在し得なかったと行っても過言ではない。それくらい衝撃を受けた曲。楽器のような音が鳴ってきたと思えばいきなり激しい演奏とヴォーカル。その勢いのままサビへと持ち込む過程がたまらない。間奏のギターソロになると、単純に暗いわけでなく背徳感を含んだようなチューン。そしてそのままサビリフレイン→フィニッシュという王道パターンではなく、ひと段落セミサビを加えている部分がまたGOOD!最後は曲始めと同じように謎めいたものを残しておわる。その当時は気づかなかったが、結構エロティックな歌詞なんだな~と最近知った。安っぽい歌詞だ、という揶揄もあるが、ストレートな表現である方が伝わるとオレは個人的には思うけどね。

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    2007年3月17日 (土)

    ☆SOUL'd OUT☆

    Sould20out SOUL'd OUT (ソウルド・アウト)は、日本で活動するヒップホップ/R&Bグループ。所属事務所はArtimage、所属レコード会社はエスエムイーレコーズ。通称S.O(エス・オー)。

    インディーズ時代

    • グループ名は「SOUL」と「SOLD OUT」のかばん語となっている。なお、グループ名の名付け親は日本の最長老DJ・ニック岡井。
    • Diggy-MO'とBro.Hiの出会いは雑誌のメンバー募集広告であり、その後自分のトラックに載せるボーカリストを探していたShinnosukeと出会い、1999年結成。
    • 『DEMO TRACKS』をリリース。

    2003年

    • メジャーデビューの1stシングル『ウェカピポ』をリリース。
    • 2ndシングル『Flyte Tyme』をリリース。
    • ダブルA面の3rdシングル『Dream Drive/Shut Out』をリリース。
    • 1stアルバム『SOUL'd OUT』をリリース。
    • 4thシングル『Love, Peace & Soul』をリリース。
    • 初のリミックスアルバム『Movies & Remixies』をリリース。

    2004年

    • 5thシングル『1,000,000 MONSTERS ATTACK』をリリース。
    • 6thシングル『Magenta Magenta』をリリース。
    • 7thシングル『BLUES』をリリース。

    2005年

    • 8thシングル『To All Tha Dreamers』をリリース。
    • 2ndアルバム『To All Tha Dreamers』をリリース。
    • 2枚目となるリミックスアルバム『Movies & Remixies 2』をリリース。
    • 9thシングル『イルカ』をリリース。
    • 10thシングル『ALIVE』をリリース。

    2006年

    • 11thシングル『TOKYO通信~Urbs Communication~』をリリース。
    • 3rdアルバム『ALIVE』をリリース。
    • 12thシングル『Catwalk』をリリース。

    Starlight Destiny」のリリースを記念して、ペルセウス座流星群のNo.9990の星に「SOUL'd OUT星」という名前を付ける。 (ニュージーランドスタードーム国立天文台認定)

    • 初のベストアルバム『Single Collection』をリリース。

    2007年

    • 14thシングル『GROWN KIDZ / VOODOO KINGDOM』リリース。

    SOUL'd OUTとかねてから交友のある漫画家・荒木飛呂彦の漫画「ジョジョの奇妙な冒険」を基にしたアニメーション映画作品「ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド」(2007年2月17日公開)のテーマソングに、「VOODOO KINGDOM」が起用。

    • 15thシングル『MEGALOPOLIS PATROL』をリリース予定。
    Diggy-MO'(ディギー・モー) - Main MC
    • メインMCを担当する。
    • S.Oの殆どの楽曲をBro.Hiとともに作詞、Shinnosukeとともに作曲している。
    • ライブミュージックビデオ、メディアへの露出などのときは常に帽子を着用している。メジャーデビュー当初から「Tour 2005 “To All Tha Dreamers”」ファイナル後半までは「Diggy」のロゴが入った赤い帽子を着用。同ライブ終盤からベストアルバム『Single Collection』のリリースまでは「ALIVE」のロゴが入った白と黒のツートンカラーの帽子を着用している。シングル『GROWN KIDZ/VOODOO KINGDOM』のリリース以降現在は「DESPERADO」のロゴが入った白と黒のツートンカラーの帽子を着用している。
    • 歌を歌っている時は常人では考えられないほどよく呂律が回る。
    • クラシックを通じて音楽の基礎を習得。
    • 中学生・高校生時代に知人とバンドを組んでいた。
    • 英語の発音の良さについては「勉強してますから」との事。英語圏生活などは無い模様。
    • 影響を受けたアーティストに、m-floサザンオールスターズ、ザ・ルーツなどを挙げている。
    • 雑誌などでのインタビューでは、常に「S.OをサザンオールスターズやMr.Childrenなどのように幅広い層に愛されるグループに育て上げたい」と語る。
    • 左利きである。
    • 趣味は無い、とインタビュー等で訊かれるたびに答えることが多い。単純に音楽以外ではまるものが少ないのであろうと考えられるが、「やるべき事をやる前に趣味に熱中するような人はあまり好きではない」という発言もあり、曲の歌詞に同じような主旨を書いた箇所も見受けられる。
    • 「ブレイズ&ビーズ」と呼ばれるヘアスタイルはデビュー当時から変えていないとのこと。
    • ラジオなどで、かなり天然な発言が多くある。
    • ファッションのこだわりは「キャップを取らない事」らしい。
    • Bro.Hiに「自分に勝てる奴」と言われている。
    • 好きな芸人はロバート
    Bro.Hi(ブラザー・ハイ) - Human Beat Box/MC
    • ヒューマンビートボックスとMCを担当する。
    • S.Oの殆どの楽曲をDiggy-MO'とともに作詞している。
    • 小学校高学年時代にオーストラリアに在住していた。
    • 中学生時代に知人とバンドを組んでいた。担当したパートはドラム
    • ザ・ルーツのライブで初めてヒューマンビートボックスを目にし、強い影響を受けた。
    • デビュー前には板前を7年ほどやっていたため、料理もなかなかの腕前らしい。なお、板前を辞めてから音楽活動を始めるという形はとらず、板前と音楽活動を両立させていた。
    • 常人とは比べ物にならないほど呂律が回り、それはDiggy-MO'以上の時もある。特に、2ndアルバムの『To All Tha Dreamers』収録曲の『告白 feat.TSUYOSHI』では自身最速をマークしている。
    • Bro.Hiの「Hi」は、ライブやステージ上ではいつもテンションを上げていきたいという意味。
    Shinnosuke(シンノスケ) - Trackmaster
    • トラックマスターとして、S.Oの殆どの楽曲をDiggy-MO'とともに作曲・編曲している。
    • 幼少時代から絵画に興味を持ち、絵画を学んでいた傍らで音楽活動を行っていた。
    • 小学校時代に吹奏楽部に入部、トロンボーンを担当していた。
    • その後知人とバンドを組み、キーボードを担当した。
    • 高校卒業時より、ブラックミュージックを基本としたサウンドプロデューサーを志していた。
    • 使用しているシンセサイザーヤマハMOTIF。なお、MOTIFシリーズにはShinnosuke監修のサウンドデータがプリセットされている。
    • 2006年には同2月23日にリリースされた「電気用品安全法(PSE法)に関するあらたな要望」に賛同、署名をしている。
    • 英語が他二人に比べて苦手らしく、細かい曲の歌詞も殆ど覚えていないと言う。
    • Diggy-MO'に「S.Oのサウンドの土台」と言われている。

     CDTVで『Flyte Time』を聴いてから気になるように。しかしその頃XやLUNA SEAなどのロックバンド系を聴くことが主だったので次第に遠ざけるようになってしまった。高2になり友達でSOUL'd OUTのファンだというのがいて、それからまた聴きだすようになり始めていた。いつも『Magenta Magenta』を口ずさんでいたしね~wwあの~ところでshinnosukeは何でしょこたんに曲作ったんだろwwすんごいありえない組み合わせだよね・・・ソウルやR&Bにまで及ぶブラック・ミュージックをルーツに展開する独自のサウンドとパフォーマンスは圧巻。

     『1,000,000 MONSTERS ATTACK

    ミリオンモンスターズアタック。いくら呂律が回るとはいえ…早すぎでしょww"ウィーデベデーデベデーデベデベデー♪"部分が頭の中で反復してますよ。特徴のあるMCの声も要因かな。

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    2007年3月16日 (金)

    ☆Gackt☆

    Gackt234

    Gackt(がくと、神威楽斗(かむい がくと、Gackt Camui)、公称1540年7月4日 - )は日本男性歌手である。沖縄県生まれ。血液型はA型。所属レコード会社は日本クラウン。彼のファンを「Dears」という。

    • 1994年以前 - ピアノと声楽を学び「CAINS:FEEL」にて活動。
    • 1995年10月1999年1月 - 「MALICE MIZER」のボーカルとして活動。
    • 1999年1月 - 『Gackt Job』を立ち上げ、ソロ活動を始める。
    • 2000年2月 - 個人事務所を設立。同時にファンクラブ「Dears」を設立。
    • 2001年から4回連続でNHK紅白歌合戦に出場する。
    • 2005年12月24日 - 自身初の東京ドームライブを決行。
    • 2006年1月14日 - 韓国ソウルにおいて、日本と全く同じ規模と内容のコンサートを行う。
    • 2006年2月28日 - 氏がパーソナリティを務めていたラジオ番組を通し、兵庫県立舞子高等学校の卒業式来校を依頼され承諾。卒業生・在校生の前で卒業式記念ライブを行い、来校決定後2日で完成させた未発表の新曲『野に咲く花のように』を披露した。この曲は翌年の2月7日にシングルとして発売され、音楽番組「ミュージックステーション」にてテレビ初披露された。

    趣味特技・家族

    • 阪神大震災直前の早朝まで、阪神高速をドライブしていたことを告白している。
    • 本人曰く「僕はナルシストではない。ナルシストはダイエットが苦ではないけれど、僕は苦痛だから。」とのこと。何事にも全力で取り組み、寝る時も、「集中して眠る」。
    • B'zのボーカル稲葉浩志を「最高のボーカル」とラジオで発言。自身もB'zの楽曲『いつかのメリークリスマス』を聴き感動したと自著『自白』にて記す。またテレビ番組などでもB'zの楽曲を取り上げたり、歌ったりしている。
    • 家族構成では、姉と弟を持つ長男。姉のことは「姉さん」や「姉貴」と呼んでいる(姉、スタッフ等はGackt邸の合鍵を持ち、管理をしている)。を1匹ずつ飼っており、ミニチュアダックスの「ベル・コンスタンティン・チャピ」とメイン・クーンの「メイ」。
    • 歯磨き粉はつぶ塩を好む。誤ってメンズビオレで歯を磨き、つぶ塩で洗顔した時もあったらしい。

    機動戦士ガンダム

    『機動戦士ガンダム』のマニアとしても知られているが、その出会いは、20歳頃友人にTV版ガンダムのビデオを借りた事から。「宇宙で一番ガンダムを見た人間」と自負、音声の全てをパソコンに取り込み、延々と流し続けたりといった行動をとる。また、自身がDJを務めていたラジオでアムロ・レイ演じる古谷徹やシャア・アズナブル演じる池田秀一を招いた。ガンダムを取り上げたTV番組において、スタッフから受け取ったヒートホークの形をしたエレキギターから出た効果音を「これニュータイプの音だよね」と瞬時に答えている。また友人関係にあった富野由悠季総監督から直々に、2005年に劇場公開された映画『機動戦士Ζガンダム』三部作の主題歌を打診され快諾。 一作目放映前後であらゆる音楽番組に出演し、その度に『Zガンダム』の宣伝を繰り返していた。その一作目放映後の打ち上げでは「今まで出た打ち上げで最も幸せな打ち上げだった」と語った。 2006年9月25日に出演したHEY!HEY!HEY!では登場人物のシャア・アズナブルのセリフ、10月16日に出演した同番組ではアニメの1シーンのアフレコを完璧にこなしてみせる程、モノマネが上手く現在レパートリーはアムロ・レイ、シャア・アズナブル、カイ・シデン、ギレン・ザビなどがある。

    生活

    • 肌が弱いとの理由から、全身を永久脱毛したことをたかの友梨ビューティクリニックのCM制作関連でのインタビュー時に答えている。また、目が光に弱いため明るい所は好きではなく、サングラスを常用し、真っ暗な自宅で素っ裸で生活をしている。歌っているときに比べ、会話は落ち着いている。よくしゃべり、よく笑う。メンバーやスタッフの誕生日には必ず大掛かりなサプライズ企画を行うが、本人もメンバーやスタッフ、ファンのサプライズ企画によって泣かされている。
    • 朝は野菜ジュースのみ、昼は食べない。また、米は7年間食べていないと告白。ラーメンは誕生日のみ、ご褒美で食べる。お気に入りのラーメン店は京都に本店を構える「みよし」で、Gacktのたっての希望により新宿歌舞伎町に初の支店ができる。好物は納豆キムチワインの肴)
    • 本人及びGackt Jobメンバーは全員格闘技をやっており、本人はNHKからの仕事によりマダガスカルへ行き、現地ボクシングコーチと対戦した際、それまで封じ込めていた闘争本能が目覚め本気で倒しに掛かり、あやうく相手の首の骨を折りそうになった。
    • 性格は頑固で負けず嫌い。そんなGacktも元X JAPANのリーダー、YOSHIKIと実の父には勝てないらしい。豪でも有名だが、こちらはYOSHIKIと、Gackt曰く「飲むと最強」になるというメンバーのYouには負けるという。ちなみに酔うと笑い、更に酔うと泣き、最終的には暴れだすらしい。
    • サポートメンバー、スタッフ、ダウンタウン石橋貴明中居正広、ファンなどからは「ガクト」の他に「ガク、ガクちゃん、ガクさん」と呼ばれ、映画で共演したhydeからは「ガッちゃん」と呼ばれ、セイン・カミュからは「若」と呼ばれている。また、「ガックン」と呼ばれていた「堂本兄弟」を卒業した際には、普段から交流のあるきくち伸プロデューサーを含め、堂本兄弟メンバーやスタッフ達も、再び戻ってきて欲しいと切望した。
    • 自身のブツは"マグナム"であると『うたばん』で発言。外人用のラージサイズのパンツを穿いても3割はハミでるとのコメントも。また、愛用する下着の種類はTバックやTフロントなどといったきわどい系統のものであると、コメントもコンサートやテレビ番組で明言。理由は、「ブツがまっすぐになってないと気持ちが悪いから」だそうである。
    • 言葉遣いを気にしており、特に女性の言葉遣いが汚かったりすると、一瞬で「女性として見なくなる」と「浜ちゃんと!」で発言。自身が著作した「自白」でも、言葉フェチ・声フェチと書いているほどであり、女言葉を大切にしてほしいとのこと。
    • 同番組では両利きである事と、見事な書道の腕前を披露し、浜田雅功木村祐一を驚かせた。木村祐一曰く「書家みたいな字」とのこと。またあまりに欠点がないので浜田に「どっか一個ぐらいかっこわるいとこ見せぇ」と突っ込まれている。バツゲームでは普段着用のサングラスを外し、ガソリンスタンドで真面目に働く姿も。
    • L'Arc~en~Cielのボーカルhydeと非常に親しく、Gackt邸に招かれた。Gackt初の映画『MOON CHILD』では、台本を書く段階からhydeの出演を願っていたらしく、また、収録の合間、寝ているhydeにキスをしようとしていたというのは有名な話。hyde本人も「次々とアイデアが出てすごい」と、Gacktを敬愛しており「相思相愛」の仲である。また、Gackt自身の著書「自白」において理想の女性はhydeで、なぜ女性ではないのだと嘆いたことがあると書かれている。
    • また、Gacktの14年(2005年時)に及ぶ唯一無二の大親友だというメンバーのYouは、Gacktの人生の転機にも大きく関わっており、精神面を支える存在。
    • 2006年2月までは喫煙をしていたがJobのメンバーchachamaruとの約束でGackt job全メンバー、スタッフを含めGacktに関わる人間すべてが煙草をやめた。それまではマルボロソフト(ボックスを吸う奴は煙草を吸う資格がないとまで言うソフト好きで、全て吸い終わったあとに箱をくしゃっとするのが気持ちいいとのこと)、アル・カポネ・スウィート(葉巻)、ジョーカーなどを吸っていた。
    • 彼が着けているアクセサリーは、以前はdeafbreed,GIGOR,Dicky&Grandmaster,L.ONESなどを愛用していたが現在は自身がプロデュースしているDARTSと呼ばれるブランドのアクセサリーをメインに着用している(前述のdearbreed,GIGORもそれぞれブランド名の前にDARTSof~をつけ、Dicky~も同じデザイナーが手掛ける別ブランドKARSHRが参加している)。
    • 香水はCHANEL EGOISTPLATINUM(通称エゴプラ)を愛用しておりその使用量は半端ではない。本人曰く浴びるように使うとのこと。雑誌の撮影やテレビ番組で使用した衣装には香水の匂いが強烈に残り、ショップから提供された衣装の場合大概が売り物にならず、本人が買取するかGackt使用衣装として自身がプロデュースしているブランド「Pillers」の新作発表会のときに展示されることがある。他にも、ラジオ番組で使用していた部屋にまで被害が及び、その部屋には限られた人しか使わなくなったともある。(GacktのFURACHIなオトコたちより本人談)
    • 愛車はポンテアック 2000年ファイアーバード・トランザム ラムエアリミテッドで外装、内装を問わずとことん改造している。(インパネ類はセンターに移動させる。シフトレバーを外す。など普通の車の概念を超えたものになっている)内装は2003年雑誌「daytona」と2006年「素晴らしきかな人生3」で公開している。スピードメーターは車内の中央にあり、座席はすべてフラット、倒せるようになっている。乗りつぶした車は、10台以上にも上る。
    • CD制作時には拘り様からレコーディングが滞り発売日直前にレコーディングが終了することも珍しくなく、マスターテープからCD発売までが最短で10日しかないこともあっが、日本クラウンでは、発売日直前でも間に合うとGacktは自慢する。また、他の理由としてはスタッフ、Jobメンバーの大半が関西出身者の為、阪神タイガースが好調の時にはスタジオのTVに釘付けになってしまうため、ということが挙げられる。現在では作業の遅れを緩和するため、収録できる曲は早めに済ませてしまうようにしている。
    • 現在の自宅は地下2階地上2階の豪邸で内部は石造りになっていてスタジオも完備されておりそこでレコーディングを行なうこともある。地下1階はパーティスペースになっており一般の店にも負けない量の酒が用意されている。居住部は寝室(ベッドは特注のスーパーキングサイズでベッドの側には噴水もある)、クローゼット(種類ごとに分けられており、Tシャツだけで部屋の1/4を占めている。室内にはグランドピアノ、ソファなどがある)浴室などがあるがいずれも常識を超えた広さになっており浴室ですら35畳程度の広さがあるという。

     彼の数々の言動やこだわりに対し尊敬の念を抱くと共に、その部分に惹かれてる、てな感じ。やはり何かしらのこだわり、ポリシーを貫いている人というのは凄いと思う。自分があっちだこっちだであやふやだからだろうねwww小学生の頃から彼の話題が出ることが多かったのだが、楽曲を聴きだしたのは中3から。その頃のオレにはない一本気な所に憧れていたから。

     『OASIS』

    ディープ・フォレストを彷佛とさせるエスニック・ニュアンスをフレーバーに,非常に拡がりのある世界感を展開。ビジュアル系の枠をとっぱらって飛躍してほしい。歌の表現力も凄い。彼ほどこんなに深い世界観、独特なメロディで表現出来るアーティストは見たことがない。歌詩は理解しやすく、奥が深く何て言うか愛を感じます。 彼の恋愛の歌や愛を歌った曲ももちろん素敵なのですが、奮起しようとする姿をテーマにした歌はそれらの比ではない。砂漠をイメージさせるサウンドがカラダに染み渡るような感覚にさせてくれる心地良いロックに仕上がっている。最初聞いた時苦しくてたまらなくなるかもしれない。独特の世界観を持つ曲で昔の彼独特の繊細さと力強さを合わせ持つヴォーカルを象徴する曲。

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    ☆栗林みな実☆

    Kuri_1 栗林 みな実くりばやし みなみ1976年6月11日 - )は、静岡県出身の女性シンガーソングライター声優である。AB型。愛称は「栗の子」。所属レコード会社は「ランティス」。「アシッドアージュの運営会社)」がマネジメントを担当しており、同社広報・斉藤Kがマネージャーを兼務している。

    • 極度の人見知りであり、他の人の話に入る事が苦手。そのため、「アニぱら音楽館」に初めてゲスト出演した際、話が全く盛り上がらなかったため、司会の影山ヒロノブに質問を催促された遠藤正明から「好きな内臓は?」と、突発的な質問をされた。だが、最近は徐々に克服している。
    • 特技は、ピアノリコーダーマッピー。マッピーの腕前は、最高で53面に到達するほど。
    • プロポーションが良く巨乳のうえ、イベントやライブでは露出度の高い服を好んで着ることが多く、共演する男性陣からは「目のやり場に困る」と、嬉しい悲鳴が上がっている。
    • 透き通るような歌声に定評があるが、緊張すると声が小さくなってしまう。

    アダルトゲームなどにも、別名を使わず出演する。

    奥井雅美の大ファンであり、最近はよく仕事を一緒にしている。

    ソロ活動だけでなく「ワイルド三人娘」や「exige」などのユニットとしても活動している。

    「栗林みな」や「栗みな実」は誤記。

    高校卒業後、短大入学から2000年頃までバンドを組んでいた。専門学校卒業後に声優事務所へ所属するが、音楽をやりたいという想いから半年ほどで辞めた。歌手を目指して様々なオーディションを受けるも落選が続き、「コミックマーケット」などのイベントで、アージュのスタッフとして仕事をしていた。ジョイまっくすいとうかなことは、この頃からの付き合いである。なお、この頃から本名での活動から現在の「栗林みな実」という芸名に変更している。

    歌手・声優としての栗林みな実が一躍有名になったのは、2001年に発売されたアージュのゲーム『君が望む永遠』(君のぞ)がきっかけである。通常、声優がアダルトゲームに出演する場合には、名義を変更してカメラ等への露出も避けることが多いにもかかわらず、彼女は栗林みな実名義のままメインヒロインの一人である涼宮遙役として出演し、コスプレをしてイベントを行うなど積極的なアピールを行った。君のぞが大ヒットしたこともあって、知名度は飛躍的に向上した。

    また、デビュー曲となった君が望む永遠主題歌『Rumbling hearts』は、もともと作詞の依頼を受けていたもので、「歌ってみないか?」と誘われたことが切欠だった。この曲は、シングルとして発売はされていないにも関わらず、ゲーム内で非常に印象に残る使われ方をしたため、君のぞ関連ソングのファン投票を行うとほとんど常に1位を獲得する人気を誇っている。さらに、君のぞがアニメ化コンシューマ版発売と展開されるなかで数多くの関連楽曲も歌い、その多くで自ら作詞・作曲も行った。後に、ラジオで本人が「25歳までにこの世界へ入れなかったら、もう諦めようと思っていた」と述べているが、『君が望む永遠』はまさに彼女が25歳の時に発売された。

    その後もしばらくはアージュ関連ゲームの主題歌・挿入歌を中心に歌っていたが、アニメ版君のぞの主題歌シングル『Precious Memories』のヒットにより、アニメソング歌手としても注目を集めるようになった。この曲は初のアニソンであるため、彼女自身かなり思い入れがあるとラジオなどで語っている。この曲をきっかけに、数々のメジャーTVアニメの主題歌も手がけるようになっている。

    近年は、JAM Projectなどとの共演やAnimelo Summer Liveへの出演、2007年には初のソロライブツアーを行うなど活動の幅を広げている。

     作曲・アレンジを主に担当しているのが飯塚昌明。

    飯塚 昌明(いいづか まさあき、1967年2月22日 - )はアニメソングなどに多くの楽曲を提供している作曲家編曲家ギタリスト新潟県出身。

    ミューズ・モード音楽院卒業

    栗林みな実の楽曲のアレンジを手がけていることで有名。

    太鼓・津軽三味線といった和楽器と洋楽器のサウンドを融合させた宇崎竜童プロデュースのロックバンド「六三四Musashi」のギタリストでもある。

    元スターダスト・レビューのヴォーカルが新結成したバンド「esq」(エスク)のギターにも参加したりもしている。

    また、2005年9月には声優の谷山紀章と共に「GRANRODEO」というユニットを結成した。

     トランス、ダンスミュージック系にまちゃさんのギターを乗せれば無敵。アニソン界では結構超新星扱いされてるみたい。まちゃさんと組んでいる理由は不明。良い曲が多いから別にいいのだけれども。

     『Rumbling hearts』

    1stベストアルバム『Overture』に収録。『君が望む永遠 サウンドトラックプラス』にもゲームver.が収録。ゲーム内で非常に印象に残る使われ方をしたため、ファンの間ではかなりの人気曲らしい。どんなシチュですかwww少しXの『紅』のような、思いが相手に届かない、という描写が歌詞にあり、切ない内容に。最後の部分まで繰り返し流される間奏の部分がなんともいえない悲壮感を漂わせている。

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    2007年3月15日 (木)

    ☆倖田來未☆

    Kumi_koda 倖田 來未(こうだ くみ、本名・神田 來未子(こうだ くみこ)、1982年11月13日 - )は、日本女性歌手長崎県平戸市生まれ、京都市伏見区育ち。エイベックスrhythmzone所属。一見背が大きく見えるが、身長154cmと小さい。

    歌手のmisono(元・day after tomorrow)は実妹である。

    2000年 デビュー

    ドリカムに憧れ芸能界入りを志す。1999年、京都精華女子高等学校在学中にテレビ東京で放送していたオーディション番組「ASAYAN」内「モーニング娘。追加メンバーオーディション」において、後藤真希とその座を争ったが、先行して行われていたエイベックス(エイベックスエンタテインメント)主催のオーディションavex dream 2000」にて準グランプリを受賞。これにより同社でレッスンやトレーニングを無償受講できる権利、同社との専属契約権を獲得した。

    2000年12月6日エイベックスrhythm zoneレーベルよりデビュー決定。先にアメリカで「KODA」名義でデビューし、1枚目のシングル『TAKE BACK』は全米で先駆けて発売。全米ビルボードダンスポップセールスチャートで初登場19位、最高18位を記録。更に2枚目のシングル『Trust Your Love』がビルボード総合セールスチャート初登場39位にランクイン、日本人のチャートインとしては7人目で、またダンスポップセールスチャートでは初登場1位を獲得した。

    2000年-2002年 下積み・ヒットの出ない時代

    華々しく「凱旋デビュー」を飾る予定だったが、その目論見は外れ、オリコンチャートでは『TAKE BACK』が初登場59位、『Trust Your Love』が初登場18位でスマッシュヒットという結果に終わった。さらに続く3枚目のシングル『COLOR OF SOUL』、4枚目のシングル『So Into You』でも、高い歌唱力と定評のあるダンス力で着実にファンを増やすものの、ヒットとはならなかった。当時は音楽番組に出演しない路線をとり、専らクラブなどで歌っていた。本人はその時を振り返り「辛かったけど夜中3時ごろに歌ったりして、声帯が強くなったり度胸が据わったりした。下積み時代に感謝している」と述べている。

    2003年-2004年 ヒットによる浮き沈み

    そんな彼女に転機が訪れた。2003年スクウェアソフト(現スクウェアエニックス)から発売された大作ゲームソフト「ファイナルファンタジーX-2」のテーマ曲で7枚目のシングル『real Emotion/1000の言葉』がオリコンチャート初登場3位で累計23万枚のヒットで知名が急上昇。しかしその後の8枚目のシングル『COME WITH ME』や9枚目のシングル『Gentle Words』はセールスには余り恵まれなかった。元来太りやすい体質であったが、当時の彼氏の励ましもあり8kgのダイエットに成功したのはこの頃で、現在の「エロカッコいい」とマスコミから呼ばれる彼女のスタイルが確立されたのは、10枚目のシングル『Crazy 4 U』(TVアニメギルガメッシュ主題歌、avex mode)の頃。この頃から、クリスティーナ・アギレラなどの海外アーティストから大きな影響を受けるようになり、露出度の高い服装やPVなどがマスコミによって大きく話題にされた。

    そして2004年、本人も友情出演した映画キューティーハニー」の主題歌「キューティーハニー」を収録した11枚目のシングル『LOVE & HONEY』が久々のオリコンチャート初登場4位を記録。13枚目のシングル『奇跡』(NHK2004~2006年サッカー中継テーマソング)もTOP10入りを果たし、徐々にマスコミによって大きく取り扱われるようになっていった。しかし、この頃から初期の正統派路線が失われたことを嘆くファンも多く、コンサートでコンドームを客に投げつけるといった日本ではやりすぎの演出も指摘されている。

    2004年-2005年 ブレイク、BEST~first things~

    2004年の末頃から人気音楽番組に出演するようになり、4枚目のアルバム『secret』がオリコンチャート初登場3位、累計50万枚のスマッシュヒット。ライブやPVではバスト美脚を強調した露出度が高い服装や、バニーガール女教師などのコスプレを披露し、その独特のスタイルが「エロカッコイイ」「エロかわいい」「エロカッコかわいい」と形容される。

    2005年になって16枚目のシングル『Butterfly』が初登場2位と自己最高記録を更新。その勢いに乗り5年間の集大成となるベストアルバム『BEST~first things~』を発売。倖田は総合的に人を楽しませるエンターテイナーを目指しており、ベストアルバムの発売時に「ベストアルバムがミリオンセラーしたら、クラブママをやります」と宣言した。ベストアルバムの純売り上げ枚数はミリオンを記録、1日限定で銀座に「club 倖田」を開店。セールスは更に伸び続け累計は140万枚を記録した。この頃から、浜崎あゆみと肩を並べるエイベックスの稼ぎ頭となる。

    2005年-2006年 12週連続リリース、BEST~second session~

    そんな中、彼女が取り組んだのが、同年12月7日から2006年2月22日まで、原則として毎週水曜日ごとに12週連続で新作シングルをリリースする世界初の試み"12週連続シングルリリース"である。第一弾シングル『you』は、自身初のオリコンチャート初登場1位(初動7.2万枚)を記録。続く『Birthday Eve』(5万枚限定生産)『D.D.D. feat. SOULHEAD』(5万枚限定生産)も好セールスを記録した。

    同年12月31日、「Butterfly」で第47回日本レコード大賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも初出場。しかしレコード大賞受賞には、レコード大賞が掲げる『大衆に影響を与えた楽曲』という条件を満たしていないのではないか(「Butterfly」は最高2位・年間85位)という指摘があり、本人もレコード大賞終了後に「今年は露出で注目されたけど、来年はもっと音楽で注目されたい」と発言している。

    2006年も年明け早々オリコンチャートで3楽曲同時Top10入りという2003年B'z以来、そして女性アーティストでは初の快挙を成し遂げた。同年3月8日に12週連続発売シングルを全て収録した(但し「Boys♥Girls」、「Sweet Kiss」は未収録)ベストアルバム『BEST~second session~』を発売する。

    2006年- Black Cherryの発売、そして現状

    その後も『恋のつぼみ』『4 hot wave』などタイアップ色の強いCDリリースや初の写真集「MAROC」の発売、そして12月には5枚目のオリジナルアルバム『Black Cherry』を発売。勝負作として150万枚を初回出荷したこの作品は、初動売上枚数50.2万枚(オリコン)を記録した。これは、2006年発売の女性アーティストのオリジナル盤としては最高となっている。

    同年12月16日には第39回日本有線大賞12月30日には、日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。2005年に続いてのレコード大賞V2は達成できなかったものの、2005年は衣装などで注目されたが2006年は「歌唱」の分野での受賞なため、倖田は受賞時にその旨語り涙して喜んだ。

    ただし、初期のファンは既に離れつつあり、リリースラッシュによる楽曲そのものの低下や過剰なエロ路線への方向転換により、「決して売れないけれども作りこまれた音楽」であった最初期を好むものは既に現在の体制に対しては厳しい意見を述べるものも多い。こういったブレイク前のファンとブレイク後のファンとの間で見解に食い違いが生じているのが現状である。また、ベストアルバムのようなアルバムをほぼ半年に1回という驚異的なペースでリリースし続けたことから、音楽ファンからは「商業主義的」として忌み嫌われる傾向もある。

    受賞・記録

    Kanebo「テスティモ」CMソング。「TAKE BACK」に続き2度目の化粧品タイアップとなった。まだ無名の頃にCMで流れていたのを聴いて「コレいいな~」と思いつつも、誰が歌ってるかわからないということでCDは断念。中3になってようやく名前をしることができたので… この曲のテーマは「真珠」、だからCMで使われたのだろう。曲はノリノリで、「遠距離恋愛」らしき歌詞になっている。この頃からもう恋への執着心がww細かな演出が飽きさせず密度の濃い、終始安心して楽しめるのが良い。

    音楽賞

    その他の受賞

    記録

    豆知識

  • 3歳頃より、尺八を教えていた祖父と琴を教えていた母親の勧めで、日本舞踊の演者として初舞台を踏んでいる。
  • プロ野球阪神タイガース赤松真人外野手は藤森中学校時代の同級生。
  • とんねるずの大ファン。元々母親がとんねるずのファンだったことに影響されたという。「うたばん」(TBS)に出演するといつも石橋貴明と、「とんねるずのみなさんのおかげです」(フジテレビ)の懐かしのギャグで盛り上がるほどである。また「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ)内の「新・食わず嫌い王決定戦」に出演し石田純一と対決した際には「10年間イメトレを重ねてきました」とも発言している(が、結果は「ゴルゴンゾーラピザ」を一発で石田に当てられ敗北。罰ゲームとして「キューティーハニー」をア・カペラで歌わされた)。
  • 敬愛しているアーティストはDREAMS COME TRUE岡本真夜。歌手を目指すきっかけは中学時代にDREAMS COME TRUEのライブを見たことで、エイベックスのオーディションで歌った曲は岡本真夜の「Alone」だという。
  • 2005年のNHK紅白歌合戦のリハーサルでは、ノーブラ衣装でのステージを宣言したが、むしろ紅白歌合戦に先立つ日本レコード大賞ステージでの衣装がマスコミから大きく注目を集めた。豊満な胸を強調するファッションは衝撃的としてマスコミから報道された。
  • 2005年12月から12週間連続でシングルをリリースしているが、5万枚限定リリースである9枚は発売前から予約が殺到し、500円だったシングルがオークションで価格の数十倍にまで膨れ上がるなど、入手困難な状態になっていた。
  • 12週連続リリース作品の全ての裏ジャケットを並べると1つの絵が出来上がるようになっている。また背帯にも、リリース順に並べてもひとつの絵が出来上がる。
  • ミュージックステーションスーパーライブにパンツをはかずに出演した事がある。
  • PVやCDジャケットでは、クリスティーナ・アギレラを中心にビヨンセブリトニー・スピアーズなど海外アーティストの作品の衣装や構図を模倣しているともいわれることもある。またクリスティーナ・アギレラのステージ衣装のカラーデザインを変えたものを着ているときもあった。倖田自身は「アギ(クリスティーナ・アギレラ)のような強い女性に憧れる」「私も少しアメリカで売れたから、PVも恥ずかしいことはしたくない。海外を意識している」と偶然の一致ではないとする発言をしている。
  • 「今までテレビとかで表に出ないでここまで売れた自分を誉めたい」、「昔あこがれてた歌手はいましたけど、自分の中で越せた感があるので、今は海外のアーティストに注目しています」、「ヒップホップなのかポップスなのか分からない、中途半端なのが最近多いじゃないですか?そういうの気持ち悪いから、私は自分で確立したバリバリのエロポップですよ!」、「日本で歌って踊れる歌手っていないじゃないですか?私が先陣きっていけたらいいなと思って」といった多くの矛盾やビッグマウスっぷりは有名である。
  • DJ OZMAのホームパーティーで森山直太朗神奈月と知り合いになった。
  • テレビ欄では「倖田未」である。(來は常用漢字外。)
  • CDリリースの仕方、プロモーションの変化などあまりにも昔とかけ離れてるという批判が数々。曲の質落ちてるか?別に前と変わることは多少は仕方ないような…まあ、恋への純粋だったものが段々過激に、ストレートな表現になりすぎてきてるかも。むしろこれだけよく歌詞が書けるなあ、という驚きが。確かにやたらBESTを出しすぎてる感が…avexが悪いのか、本人の意思なのか…浜崎あゆみの時は本人の意志を無視して1stBESTはリリースされた、というのは有名な話だが。ジャケットでだけでも反抗してみてはいかがかな?あゆみたいに涙を流したジャケットにあえてするとか。明るい曲が近頃は増えたから古参ファンであるオレは嬉しいけどね。

     『love across the ocean』

    Kanebo「テスティモ」CMソング。「TAKE BACK」に続き2度目の化粧品タイアップとなった。この曲のテーマは「真珠」、そしてCMのテーマも「真珠」。細かな演出が飽きさせず密度の濃い、終始安心して楽しめるのが良い。 曲はノリノリで、「遠距離恋愛」らしき歌詞になっています。名前をまだ知らない頃にこのCMで聴いてから興味が湧いた。今はあまり作られない落ち着いた調子になっている。

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    2007年3月14日 (水)

    ☆LUNA SEA☆

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    LUNA SEA(ルナシー)は、主に日本で活動していたロックバンド。 80年初頭前後のゴシックロックニューウェイヴ、70年代前後のプログレ・・・etcといった多ジャンルの影響から創り出す独自の音楽、また黒服・女的なメイクに代表される外見なども含めて、いわゆるヴィジュアル系の代名詞的な存在である。ちなみに音楽性は時期により異なる雰囲気を持つ。タイアップ全盛期と言われた時代にノータイアップでオリコンチャート1位を連発し、東京ドーム公演を行うなどLIVEでファンを獲得していったことからLUNA SEAはライブバンドとも呼ばれる。

    やるライブやるライブが大雨や大雪に見舞われたため、嵐を呼ぶバンドとも言われる。

    RYUICHI(リュウイチ):ボーカル

    SUGIZO(スギゾウ):ギターバイオリン

    INORAN(イノラン):ギター

    J(ジェイ):ベース

    真矢(シンヤ): ドラムスパーカッション

    メンバー全員が作詞作曲を行い、初期の作品以外はクレジットは全て作詞・作曲:LUNA SEAとなっている。これは原曲となる曲を個人が作曲し、それを元にメンバー全員で作り込む(ジャム・セッション)という方法を取っている為である。また、印税などの権利を公平にするという意味もある。ちなみにLUNA SEAにはリーダーが存在しない(一部でリーダーは最年長のSUGIZOと報道されたが、彼は下記にも表示されているように、創設メンバーではない為否定している)。

    また、LUNA SEAのファンを「SLAVE(スレイヴ)」と呼び、六番目のメンバーとしている。 SLAVEはオフィシャルファンクラブの名称でもあり、ファンクラブ SLAVEはLUNA SEAが終幕した現在も活動している。

    ちなみにRYUICHIは結成当時RAYLA(レイラ)、真矢は英語でSHINYAと名乗り活動していた。

    LUNA SEAとは「」と言う意味であり、LUNA SEAの持つ幻想的なイメージを実にうまく表現している。また、インディーズ時代はLUNACYと言うバンド名であった。これは「狂気」という意味であり、インディーズ時代の荒々しさを実に表現している。

    ちなみに「LUNACY」を翻訳すると「精神異常」。メジャーでの活動を視野に入れた彼らは、一つの意味に縛られず、また、音楽的にも「深く」・「広く」という思いから、「~CY」箇所を「~SEA」にした「LUNA SEA」というバンド名に変更した。(ちなみに、これを提案したのはJである。)

    結成~初ライブ

    1989年1月INORANJが所属していたLUNACYPINOCCHIOに所属していたSUGIZO真矢が加入する。この時期に在籍していたボーカルが脱退した後、SLAUGHTERにいたRYUICHIが加わり、5月6日にこの5人でインディーズ活動を開始。5月29日には町田プレイハウスにて初ライブを成功させる。ちなみにこの時、「ここで5人で音を出した時、これだ!と思った。」と、後に各メンバーが異口同音で語っているのは有名な話である。以後、町田を拠点としてライブを精力的に続け徐々に人気を獲得していく。1990年11月、目黒ライブステーションでのワンマンライブを機に、バンドの表記をLUNA SEAに改める。

    HIDEとの出会い~インディーズでアルバムリリース

    精力的にライブ活動をこなしていったLUNA SEAは、この過程でX JAPAN(当時 X)のYOSHIKIHIDEに誘われ、YOSHIKIが主宰するエクスタシーレコードから1991年4月に1stインディーズアルバム「LUNA SEA」をリリースする。この年は、ライブハウスツアーを3本こなす。そんな中9月19日には日本青年館、年末の12月29日・30日には日本青年館2DAYSを成功させるなど、会場のキャパは確実にグレードアップしていった。

    97年の活動休止中からソロアーティストとしてもキャリアをスタートさせていた5人は、終幕後、その歩みを進めるべく5人5様の活動を続けている。 また、多くのアーティストは解散後ファンクラブも終了する場合が多いが、解散後もファンクラブSLAVEは存続しており、こういったケースは極めて異例である。 そして今、雑誌のインタビューでそれぞれの活動(J・真矢・Tourbillon・THE FLARE)としてある一つの 雑誌のインタビューを受けたとき、LUNA SEA開幕について聞かれたときSUGIZO以外のメンバーはそれに肯定的なことを言っていたが、SUGIZOは断固として反対しているらしい。SUGIZO曰く「開幕してほしいっていう人はあのときの感覚を再体験したいだけなんだよ。」という発言をしている。しかし、市川哲史の著作『私が「ビジュアル系」だった頃』でのインタビューでは「失敗の要因を全部クリアできて、もう一度5人が人間的に繋がり合えるのであればリ・スタートとしてありかも。」と語っており、再結成を完全否定しているわけではないようだ。

    ヴォーカルのRYUICHI(河村隆一)は現在Tourbillon(トゥールビヨン)というバンドで活動中。

    コンサートでの演奏回数 (Sg:DESIRE~ / Al:STYLE以降の楽曲を集計)

    109回 ⇒ DESIRE

    102回 ⇒ END OF SORROW

    65回 ⇒ STORM / G.

    60回 ⇒ RA-SE-N

    54回 ⇒ SHINE

    49回 ⇒ I for You

    47回 ⇒ IN SILENCE / FOREVER&EVER

    45回 ⇒ SELVES / Unkilelihood

    43回 ⇒ UP TO YOU

    42回 ⇒ Time Has Come

    41回 ⇒ gravity / TONIGHT

    40回 ⇒ ANOTHER / BREATHE / Sweetest Coma Again / a Vision

    38回 ⇒ WITH LOVE

    37回 ⇒ Be Awake

    33回 ⇒ Crazy About You

    28回 ⇒ NO PAIN / FEEL

    26回 ⇒ HURT

    23回 ⇒ 1999

    22回 ⇒ LUV U / My Lover

    21回 ⇒ be gone

    20回 ⇒ Looper / KISS / 4:00AM / UNTIL THE DAY I DIE

    19回 ⇒ inside you

    16回 ⇒ Ray

    14回 ⇒ LOVE SONG

    13回 ⇒ INTO THE SUN

    11回 ⇒ TWICE

    10回 ⇒ MILLENIUM

    8回 ⇒ この世界の果てで / BROKEN / Love Me

    5回 ⇒ WITH

    6回 ⇒ VELVET / be in agony

    3回 ⇒ white out

     ヴィジュアルロック系を聴きたいならばオリジナルアルバムをオススメします。多少緩め、でもロックであるのが好きならば、ベストアルバムを。『SINGLES』,『PERIOD~THE BEST SELECTION~』があります。

     『ROSIER』

     LUNA SEAの最高傑作と称される名曲。ロングヒットを記録し、ブレイクのきっかけにもなっている。最初から勢いがあり、全てがサビと言っても過言ではないと思う。RYUICHIのところどころのシャウトしているかのような歌声も魅力の一つか。ギターも疾走感があり、聴いていてノリノリになるとも思える。欲を言うなら最後のサビのパートの歌詞をもう少し変化させて欲しかった。意味は過去の自分が未来の自分に綴った遺書らしい。LUNA SEAを好きになったキッカケの曲。

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    2007年3月13日 (火)

    ☆田村ゆかり☆

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    田村 ゆかりたむら ゆかり1976年2月27日 - )は、日本の女性声優アイムエンタープライズ(声優マネージメント)、コナミデジタルエンタテインメント(レコードレーベル)所属。本名:田村 由香里(読みは同じ)。血液型A型。身長157cm。

    福岡県福岡市出身。高校卒業後、代々木アニメーション学院福岡校に入学し全課程を修了するもデビューできず、勤めていた会社を退職し上京、「日本ナレーション演技研究所」に入所。現在同養成所を経て声優として活動している者の多くは特待生として入所しているが、彼女は一般生としての入所であった。

    取得資格は「県商珠算検定2級・全商簿記検定2級・全商商業経済検定3級・全商情報処理検定2級・日本損害保険普通資格」。

    文化放送SOMETHING DREAMS マルチメディアカウントダウン』内で企画された「ドリカンクラブ」のメンバーであった。

    2007年1月1日づけでアーツビジョンからアイムエンタープライズに移籍。移籍の理由は「八巻さんが辞めた後、アーツは人手不足だったため、マネージャーの関係上、津田さんのいるアイムに世話になることを決めた」といたずら黒うさぎでコメントしている

     彼女のファンからは「ゆかりん」や「ゆかり姫」の愛称で親しまれている。

    アイドル声優にして、実力派声優でもある。甘いロリータボイス系キャラ・天真爛漫なキャピキャピキャラ・ダウナーボイス系キャラ・男勝りな元気キャラ・冷徹な敵役など、たくさんの引き出しを持っている。

     フリフリのロリータ・ファッションが魅力。2005年過ぎからファッションの嗜好がやや落ち着いてきたようで、従来はあまり着用しなかったクラシカル系ロリータを着用することも多くなった。デビュー当初は収入の少なさで、ロリータファッションをやりたくても出来なかったという

     ファンクラブは『Mellow Pretty』。2001年04月設立。

     堀江由衣とは、養成所時代からの腐れ縁的関係。ユニットやまとなでしこ」としても知られる。

    パソコンやネット知識・ファッションに詳しい。しかし、世の中で流行っている事・時事ネタに疎い。

    ランク王国』で『Aボーイに聞いた萌えアイドルランキング』1位を獲得。www

     30歳の誕生日を迎える直前の自身のラジオ番組にて、フリートークのネタとして永遠の17歳を自称する井上喜久子の「17歳教」に許可を得て入信したと話した[5]。この「17歳教入信宣言」以降、本人の「布教」活動もあってか年齢とは関係なしに自称「17歳」を名乗る声優が増加し、2ヶ月後にゲスト出演したラジオ番組では「飽きがきている」と話していた。フリートークの最後で「(バースデーケーキに)3本しかロウソクが乗ってない」と30歳になったことは暗に言っている 

     同じ声優の服巻浩司従兄

     レーベル会社がボリドールの頃リリースされたアルバム『WHAT'S NEW PUSSYCAT? 』は会社が合併し、ユニバーサルミュージックになってしまったので、今では生産されていない。なのでネット上で数万円で取引されたりも。ちなみに彼女はコナミにレーベルを移す。何でキングレコードにも名前があるのかがよ~わかりません。なお、ボリドールといえばX JAPANもレーベルを置いてた会社。変な感じだwww

     ジャズ調、80年代POP,そのままのゆかりんとしてのアイドル曲もお気にいり。今では彼女の楽曲の虜にwwwちなみにファンクラブにはまだ未加入。大学入って万一余裕できたら、入会しよーかな~なんて薄い期待。

     『Baby's Breath』

    【初めて一人でおしゃべりしたラジオ番組のオープニング曲です。この曲を聴くと、当時の小さなスタジオを思い出します。のんびりしてて楽しかったなぁ…。】

    一番初めにこの曲から入門したね。曲の入り方が独特でオレ好み。バックの音楽も可愛らしい感じでいい。なぜに途中でギターソロがあるのかはよ~わからんけどwwwいや、別に邪魔というわけではないけども、今まで目立ってない、てか、使ってなかった音が入ってきたから…でも高い音でのソロなので曲には合ってるよ。シングルのメイン曲としては唯一、と言っていいほど好きな曲かもしれない。大抵CW曲の方が良い曲多いし。レビューも大体いつも似たように書かれてるね。CWをメインにすればもっと売り上げ伸びるんじゃないのかって。まあタイアップの関係上ダメなんだろうさ。別に聴ければ自分としてはいいッスから。オレはこの曲イチオシ。可愛らしい曲なのだが、歌詞には真っ直ぐな気持ちがつづられている。好きな相手に出会えて良かった、という感謝の気持ちがつづられている。思わずSOPHIAの『街』を思い浮かべてしまった。差し伸べられた手を握り返したくなるような、そんなエネルギーを感じる。女性ファンにもこれはかなりの人気がある。ラブソング、と分類できないほど純粋。ファンの中には初めてこれを聴いて涙した人もいるとか。

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    ☆浜崎あゆみ☆

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    浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、本名:濱崎 歩(読みは同じ)、1978年昭和53年)10月2日 - )は日本女性歌手である。福岡県福岡市出身。堀越高等学校中退

    愛称は「あゆ」。英語表記は「ayumi hamasaki」。芸能事務所・所属レコード会社はエイベックス・エンタテインメント。血液型はA型。日本を代表する女性ポップス歌手のひとりである。

     デビュー以来、浜崎あゆみのオリジナル曲は全て自身で作詞している。ほとんどの歌詞は日本語。不得手の英語は使わないと宣言していたが、2002年のアルバム『RAINBOW』以降は英語詞を含めたものも発表している。

    人生ギャンブル』であるとしたうえで、自らの半生を『ハイリスク・ハイリターン型』であると語っている。

     (小型犬)好きとしても有名でチワワミニチュアダックスフンドなどを飼っている。仕事場に連れてくるのはもちろん2005年のツアーでは、MC中にステージに登場したこともある。

     バンドメンバーには、ギタリストに『よっちゃん』こと野村義男(マネージャーがよっちゃんファン)、ベーシストに元バービーボーイズのENRIQUE(エンリケ)がいる。

     好きなアーティストは、サザンオールスターズマドンナ中森明菜松田聖子など。

     あゆの作品やライブ・パフォーマンスは、マドンナの影響を大きく受けている。

     ちなみにオレファンクラブ入ってるよ☆『Team Ayu』メンバーだぜ!

     あゆの楽曲はシングルとアルバム収録では曲がアレンジ等されてる理由で同じ状態のものがほとんどない。原曲を味わいたいならばシングルで聴く事をオススメします。

    『monochrome』

    シングル『A』、アルバム『LOVEppears』に収録。ただしアルバムver.との違いあり。

     CMでは聴いたことあったけども、今まで曲名もわからないままだった。歌詞がめちゃ切ないッス。恋が叶わなかったのか、別れてしまったのか、未熟なのでちと判断しかねますが…曲の最後では音がブツッ!と切れて終わる。これが何を意味するのか、当時の資料とかがあれば知りたいんんだけどな…。隠れた名曲。ファンの間でも何でコレが1stベストに入らないのかが不思議に思われてる。

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    2007年3月12日 (月)

    ☆Psycho le Cemu☆

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    Psycho le Cemu(サイコ・ル・シェイム)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド。

    1999年兵庫県姫路市で結成。「音楽ジャンルにとらわれず、アーティストとして原点を破壊していきたい」というバンドコンセプトに基づき活動を展開。2002年、日本クラウンよりシングル『愛の唄』でメジャーデビューし、いきなりオリコン10位に入るという快挙を成し遂げる。翌年4月には米米CLUBの大ヒット曲『浪漫飛行』をカバーして話題になった。デビュー直後は、テレビ番組に積極的に出演し「コスプレバンド」として知名度を高めた。海外での人気も高く、2004年にはアメリカでライブを行い成功を収めている。また、「ニューズウィーク日本版」(2004/10/20号)の特集「世界が尊敬する日本人100」に選出された。

    コンセプチュアルなライブもこのバンドの大きな魅力である。新曲やツアーごとに西洋風・銀河海賊・陰陽師・学生服など多彩な衣装を披露している(その際、「アクセント」のような位置付けで、ベースのseekが他の4人と一線を画したキワモノ衣装を着ることがお約束となっている)。メンバーによるコントやダンスなどのパフォーマンスも行っている。

    2005年6月3日、DAISHIが覚せい剤取締法違反(使用)の疑い(公式HPでは急病のためと発表されていた)で神奈川県警に逮捕され、2005年9月12日の初公判で起訴事実を認めた。バンドは逮捕を受けて8/10、事務所から離れ独立。暫くバンド活動は自粛していた。

    2006年になって活動再開、ライブ日程やCDの発売が決定したが5月7日のライブをもって無期限で活動を休止、直後にDAISHIを抜いた4名で構成された事実上の後継バンド「SYNESTICS」もそこから1年ほどで活動終了となってしまった。

     

    • DAISHI(ダイシ)-ボーカル
    • Lida(リダ)-ギター、リーダー。
    • AYA(アヤ)-ギター。ダンスも担当。
    • seek(シーク)-ベース
    • YURAサマ (ユラサマ)-ドラムス。ダンスも担当。堂本兄弟にレギュラー出演した経験がある。

    現在、LidaとYURAサマが「Dacco」というユニットを組んでいるほか、 YURAサマは他のヴィジュアル系ミュージシャンや演劇関係者とともに アラスタ(「アラジンとスターオーシャンの秘宝」という主催ミュージカルが母体の演劇・ライブなどを組み込んだイベント)を主催。 AYA・seekはMix speaker's Incを結成、DAISHIはソロ活動。

    インディーズ

    • -Kronos- (2000.4.21)
    • 理想郷旅行ガイドディスク (2000.11.22)→「聖~excalibur~剣」収録
    • a trip to the Arcadia (2001.1.8)(3,333枚限定)→「神の庭」収録。2003.10.8に解禁し「Genesis」を収録し再発。
    • REMEMBERANCE (2001.7.8)

    メジャー

    • 愛の唄(2002.10.2)
    • 激愛メリーゴーランド/春夏秋冬 (2003.1.16)
    • 浪漫飛行 (限定:2003.4.23、通常:2003.5.1)
    • 想い出歩記 (2004.2.18)
    • 道の空 (2004.6.9)
    • 夢風車 (2004.10.6)
    • LOVE IS DEAD (2005.4.27)

     アルバム

    インディーズ

    • Doppelganger~もう一人の自分~ (2001.9.26)
    • Prism (通販:2002.4.1、店頭:2002.7.17)

    メジャー

    • FRONTIERS (2003.8.27)
    • Beautiful World~この瞳に映らない現実~ (2004.11.10)
    • ~エピローグ~語り継がれる物語 (2006.4.30~発売中) 通信販売限定 再発売決定(SWEET-CHILD ONLINE SHOPPINGにて販売中)
    • 「GOD JAPANESE MONSTER」(2007.01.08~2007.02.04)(SWEET-CHILD ONLINE SHOPPINGにて受付期間延長)

     

     以前にTVK(テレビ神奈川)でsakusaku(サクサク)という、当時は木村カエラがMCを務めていた番組に出演してたのを見た事を機にして、現在に至る。その頃はまあ正直単なるお遊びバンドかと思って全く楽曲を聴こうともしなかったのだが、ラジオで1回聴いてから虜になってしまった。あの数々のコスプレも楽しみだった。SHAZNAが活動休止してからそれをコンセプトに加えてるバンドがいなかったため、奇抜なこのバンドが本当に気に入っていた。しかしDAISHIがヤクで捕まってしまい…楽曲はわずかなのが残念。アメリカでも成功を収めており、尊敬される人物にまで選出されてるとなると相当凄いバンドだったのでは、と今になりもっと早くファンになりたかったと後悔。限定CDなども手に入らない物が多いのでマジ残念。DAISHIがまだ健在であったならばヴィジュアル系を率先していくバンドになっていたに違いないと確信している。もう一度…DAISHI復活してくれ!

     『激愛メリーゴーランド』

     サイコロック、サイバーロックとでも言うのか。電子音のような音楽が散りばめられている。しかし同時にギターも入り、バンドとしての曲が始まる。展開が早いがDAISHIのヴォーカルがそれを感じさせない。途中のセリフ部分も、自分の中で想いが膨らんでいる様が熱く歌われている。歌詞はぱっと見るとキザな感じなのだが、一人の相手を愛して止まない、という純粋なラブソングであることがわかる。何があっても起きても愛し続ける、そして二人は繋がれる…

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    2007年3月11日 (日)

    ☆アンティック-珈琲店-☆

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    アンティック-珈琲店-(アンティック・カフェ)は、4人からなるヴィジュアル系ロックバンド

    英語表記は「Antic Cafe」、通称は「An Cafe(アン・カフェ)」。バンドの活動コンセプトを「僕たちはかっこいい(笑)」、「ノンジャンルヴィジュアル系」とし、2003年5月に結成。翌年リリースされた1stシングル「キャンデーホリック」がオリコンインディーズチャートで初登場2位を獲得した。

    メンバーの中性的で端正な顔立ちとファッションが評価され、インディーズ界だけでなくメジャーでもその存在を広めつつある。しかし、彼らのファッションやパフォーマンスはヴィジュアル系的でないと評される事もある。ファン層は女子高生を中心とする。ファンの愛称は「カフェっ仔(こ)」、挨拶は「ニャッピーo(≧∀≦)o」(顔文字は発音しない)。

     

  • みく - 1984年1月5日生。血液型A型。
    ボーカル担当。
  •  誕生日:1月5日・山羊座
    血液型:A型
    家族構成:父、母、妹
    趣味:料理 買い物 ギター ジョギング

    好きな食べ物:寿司、ハンバーグ、ラーメン
    好きなブランド:L.H.P、JACKROSE、BVLGARI、ROYAL ORDER
    好きな色:白、黒、赤

    煙草:KOOL nights
    香水:QUASAR
    シャンプー:BRETAGNE
    ピアス:右耳1個 左耳2個

    最近気になるもの:カップラーメン

    今年の目標:今年はストイックにかついい男を目指す!

  • (ぼう) - 1983年9月16日生。血液型O型。
    ギター担当。
  •  誕生日:9月16日・乙女座
    血液型:O型
    家族構成:父、母、姉
    趣味:睡眠

    好きな食べ物:ポークライス、レアチーズケーキ、和風パスタ
    好きなブランド:Paul Smith
    好きな色:黒、金

    煙草:ぷかぷか
    香水:坊オリジナルです・・・
    シャンプー:黄金の輝きがっ!!
    ピアス:左耳1ヶ

    最近気になるもの:金髪の根元...

    今年の目標:にゃんにゃん

  • カノン - 1984年7月5日生。血液型O型。
    ベース担当。
  •  誕生日:7月5日・蟹座
    血液型:O型
    家族構成:祖母、父、母、姉、弟、ユキト(犬)
    趣味:散歩(ルートはほぼ固定)

    好きな食べ物:サッポロ一番しおラーメン
    好きなブランド:Vivienne Westwood、京アニ
    好きな色:黒、紫、白、銀、金

    煙草:メンソール以外がいい
    香水:最近別にない
    シャンプー:アジエンス
    ピアス:ずっと口に一個だけ。オンリー。

    最近気になるもの:サッポロ一番しょうゆラーメンのゴロが悪い。
    「サッポロいっちーばん しょうゆラーメン♪」って歌ってみると
    とてもゴロが悪い。

    今年の目標:日記を毎日書く。目標を常に見つける。

  • 輝喜(てるき) - 1981年12月8日生。血液型A型。
    ドラム担当。
  •  誕生日:12月8日・射手座
    血液型:A型
    家族構成:父、母、姉×2
    趣味:酒、自然鑑賞

    好きな食べ物:林檎、お酒のつまみになるもの
    好きなブランド:PAISTE、Pearl
    好きな色:その景色にあっている色

    煙草:嫌いです
    香水:COOL WATER WOMAN
    シャンプー:LUX
    ピアス:左耳9ヶ、右耳8ヶ、

    最近気になるもの:アンティック-珈琲店-しかないなぁ・・・

    今年の目標:冬でも短パンだった子供の頃の健康を取り戻す。

     

    ロックからスキャット系の楽曲まで幅広いジャンルを手がけ、激しくパワフルなライブ活動をする。

    メンバー全員のマイペースで明るい性格がファンの間で好評。みくが主に作詞を手がけ、他のメンバーが作曲を手がけることが多い。.

     

    2003年
    • 6月17日 赤坂L@Nにてデモンストレーションライブ第一夜を行う。
    • 6月17日 浦和ナルシスにてデモンストレーションライブ第二夜を行う。配布音源/収録曲「オープ○ング」
    • 7月2日 池袋サイバーで1st音源「ウズマキ染色体/ハツコイ」発売
    • 8月10日 新メンバー輝喜加入
    • 9月22日 浦和ナルシスで新生アンティック-珈琲店-初ライブ
    2004年
    • 3月24日 1stマキシシングル「キャンデーホリック」発売/限定2,000枚
    • 5月29日 高田馬場AREAワンマン「Happy Birth Day 梅雨」SOLD OUT CD「ハツコイ」無料配布
    • 6月9日 2ndCD「√69」発売/初回限定5,000枚
    • 7月5日 池袋サイバーにてカノン様Birth Day Event
    • 7月28日 原宿アストロホールでSHOK JAM CD Edition.4発売記念 ライブ
    • 9月16日 原宿アストロホールにて3rdワンマン・坊Birth Day Event「古畑任三坊~ベテランドライバーの人生ナビ。最後のコンビニへ~」
    • 11月24日 3rdマキシシングル「孤妄~コスモス~」初回限定5,000枚
    • 12月8日13日 東名阪ワンマンツアー「恋のかふぇ騒ぎ」
    • 12月13日 東名阪ワンマンツアー「恋のかふぇ騒ぎ」ファイナル 渋谷O-WEST
    • 12月13日 ID-JAPAN PRESENTS 渋谷O=CREST「アンティック-珈琲店-VS盗塁-珈琲店-」
    • 12月25日 CD付T-shirts「盗塁-珈琲店-」発売
    2005年

    「2005春の東名阪ワンマンツアー」

    2006年

    全国8大都市ワンマンツアー 「NYAPPY GO AROUND」

     オレが久しぶりに自分で発掘したアーティスト。なんか名前がオレのツボにハマったからなんだけどもwww曲も良いので結果的にはOKかな~と。

     『スマイル一番 イイ♀

     ファンによると、DAサウンドに似ているとのこと。DAというのはAccess、iceman、T.M.Revolutionのプロデュースなどを務めている浅倉大介さんのことだが…まさにあの独特のポップサウンドの様。ただのポップじゃない…キーボードを駆使したこのサウンドは、是非DAファンの方にも聞いていただきたい一枚。そしてこの曲に特別ハマったというアンカフェファンの方が居ましたら、是非DAファミリーのサウンドにも触れてみてください。歌詞がストレートで良い。女性に対してのメッセージとも言えるのかな。誰かのマネとかではなく、ありのまま、そのまま等身大の君でいいよ、ということなのだろうか。

     

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    2007年3月 8日 (木)

    ☆上松美香☆

    Mika_profile_new

    上松 美香(あげまつ みか、1982年7月2日 - )は、日本アルパ奏者。

    長野県南安曇郡穂高町(現・安曇野市)出身。実兄は作曲家編曲家上松範康。夫は、作曲家編曲家の藤間仁。

    1994年・12歳の頃、母親(クリスティ-ナ上松)の影響でアルパに興味を持ち、習い始めることに。4年後の1998年パラグアイの音楽祭「グアランバレフェスティバル(フェスティバル・デ・タクアレ)」で日本人初のアルパ奏者に選ばれ特別賞を受賞。その後数々の賞を受賞し、翌年(1999年)「ラテンアメリカアルパフェスティバル」(メキシコメキシコシティー)に出演。その後コンサート活動を続けるが、2003年に一旦活動停止。アイルランドパラグアイなど、世界を巡りながらアルパの世界を広げていく。2004年7月に活動を再開。2005年に自身作曲のアルバムをリリースした。

     兄である上松 範康も音楽アーティスト。作曲家編曲家長野県南安曇郡穂高町(現・長野県安曇野市)出身。実妹はアルパ奏者の上松美香藤間仁は義弟。

    音楽集団「Elements Garden」の代表で、数多くのアーティスト、アニメ・ゲーム関連作品に楽曲を提供しており、ストリングスを使用したアレンジには定評がある。上松範康個人として、実妹である上松美香にも楽曲を提供している。ちなみに藤間仁もアルバム「mika AGEMATSU」に2曲提供している。

    作・編曲を担当した、水樹奈々の12thシングル「ETERNAL BLAZE」では、オリコンチャート初登場2位を記録した。

     美香さんのお兄さんであるこの範康さんの楽曲はオレは大好きです。当初まさかこの二人が兄妹だなんて全く気づきもしなかった。音楽一家なんすね~。てか夫もギターアレンジャーってどこまで音楽繋がりあるんだよwww

     

     アルパ(arpaまたはharpa)は、撥弦楽器の一種でスペイン語ハープの意味である。

    日本では特にラテンアメリカのフォルクローレで用いられる民族的な楽器を指す。パラグアイペルーメキシコ・中米などで演奏されており、特に盛んなのはパラグアイである。別名、インディアンハープとも呼ばれる。

    アルパは爪で弾くようにして演奏する。左手でベース、右手でハーモニーを伴ったメロディを演奏するのが標準的。通常はヘ長調の音階で調律されており、ヘ音(F)は赤、属音のハ音(C)は青の弦が張られている。半音がでないため、ジャベ(llave)という器具を用いて半音を出す。大人であれば素手で持ち歩くことができるほどの大きさだが、共鳴箱が大きく見かけによらず豊かな響きを持っている。楽器としてはかなり完成されたものと言える。

     『MOLIENDO CAFE』

     『INOCENCIA』収録。”コーヒールンバ”だね。ラテン系な軽快さがたまらない。バックでのアコギも同じリズムを刻んでいてマッチしている。途中、ギターソロばりな速さで演奏されているのが心踊らされる。

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